在処離れ

やさしく、あったかく生きていきたいです。

「自分と違う」を認めて生きる

 

 

こんばんは。

 

 

最近、他人に、そして自分にも寛容に生きたいなあ、とよく思っています。

今日は、「寛容に生きる」ことについて考えてみようかな。

 

   

先に、こんなことを考え始めたきっかけを少しだけ書かせて下さい。

 

私、人生で初めてのバイト、コンビニだったんです。

コンビニバイトをはじめたのは大学1年生の時です。それまで高校生という身分で、〈親・友達・先生〉っていう狭いコミュニティで生きてきた私が、初めて様々な人たちと関わる場になったのが、コンビニでした。

 

コンビニって、そりゃまあ色々な人がいるんです。優しい人も勿論沢山いたけど、おなじくらい、苦手な人も沢山いました。

 

コンビニのおにぎり温め忘れただけでこれでもかと怒鳴り散らす人。

たばこの銘柄を聞きなおしただけで「こんな店二度と来るか!」と怒る人。

変なところでキレる店長。無言無表情で何考えているかわからないバイトさん。

 

そういう人って、正直意味わからないし、関わりたくない。

「なんでここまでキレられなきゃいけないの?」ってむかつくし、「なんで悪いことしてないのに怒鳴られなきゃいけないの?」って泣きたくなる。「なんで私が店長の機嫌取らなきゃいけないんだろう」って思いながら、毎日ニコニコしてました。

 

で、結局、職場もお客さんも好きになれなくて、バイトやめちゃったんです。

 

でも、もしできるなら、その人のこと、「理解できない」と突き放したくはなかった。いちいち怒ったり、機嫌取ったりするのは、疲れるから。
そんな人間もいるんだ、いろんな人間がいるなあって程度に思えれば楽なのにって思ってたんです。

 

だから、冒頭に書いた、「他人に寛容でありたい」っていうのは、他人に振り回されないためです。

いちいち目くじらを立ててその人の事を批判したり、人に怒り感情を遷されて、私までイライラしちゃうのはやめたいなって。

 

  

でね、冒頭では、他人に対してだけではなくて、敢えて「自分にも寛容に」と書いたんです。

私の「自分に寛容でありたい」っていう思いも、結局は「他人に寛容であるため」なんだけれど。

 

どこかの誰かが言うように、「自分に厳しく!他人に優しく!」って言うのが、もしかしたら一番いい生き方なのかもしれない。

でも、私は、自分に厳しいと、他人にもなかなか寛容になれないと思うんです。

それは、自分の中にある基準が厳しいと、他者もそれを守るべきだっていう傲慢さを無意識的に持ってしまう気がするから。

 

例えば、「絶対5分前行動する」って厳しい基準を自分に設けている人は、知らないうちにその5分前行動を他人にも押し付けちゃうところがある気がするんです。

本当は、その「5分前行動」っていうのは、自分だけのルールのはずで、自分以外の人は5分前行動しなくても集合時間にちゃんと間に合えばいいわけです。でも、自分が「絶対5分前行動する」って基準を持っていると、「5分前行動」しない友達にイライラしちゃったりする。

「なんだよ。時間ギリギリに来て!」って変なところで相手にムカついちゃったりとか。 

 

まあ上述したのは例に過ぎないのだけれど、そういう、(他人からしたら)理不尽なことで、私がイライラしちゃうような経験も、沢山あって。

他人に、そして自分に対して寛容になれない自分の未熟さが嫌になるのです。 

 

 

だから、なるべく他人に寛容に、そして自分にも寛容に、生きれたら楽だなって思う。

 

 

でね、寛容に生きるにはどうしたらいいのかなあっていうのを、今日は少しだけ考えてみます。

 

 

 …やっと本題に入った。笑  

 

「寛容な人」って、どんな人かなって考えてみました。

私の思う「寛容な人」って、自分とは違う生き方とか考え方とか、そういうのを許容できる人だなって思います。

 

だから、寛容に生きたいって思ったとき、

「色々な人間がいるんだなあ」って知ることとか、思い出すこと。

それが一番大事な気がします。

 

「いやあたりまえじゃん!知ってるよ!」って思われるのかなあ。笑

でもそれが意外に難しいというか、出来てないこと、多い気がしてて。

 

 

例えばさっき例に出した、たばこの銘柄聞き直しただけで怒鳴り散らす人。

「私だったら、たばこの銘柄聞き直したくらいじゃ、こんな怒らないのに!」って心のどこかで思うから、その人の事が理解できなくて、「なんでこんなに怒られるんだろう」って逆ギレしたり、怖くて泣きたくなったりするのかなって、思うんです。

 

でも、「たばこの銘柄間違えただけでこんなに怒る人も、この世の中にいるんだなあ」とか。

「この人、もしかしたらさっき鳥のフンを踏んでイライラしてるのかなあ」とか。

「そんな人も、まあいるか」って思えれば、ほら、ね。楽。

 

 

「嫌いな人」「苦手な人」を無理して理解する必要はないし、頑張って好きになる必要もないと思います。

けど、「こんな人もいるんだなあ」って認めてあげることは大切にしたい。

 

 

 

また過去の話になるんですが。

私、中学生の時に、クラスの友達からイジメられていて。

その中学にいる子はほぼ、地元の大きな小学校の持ち上がりでした。

私は田舎の小さい小学校から来た「余所者」で、その学校のスクールカーストとか、力関係みたいなものを何も知らなかった。

 

そのな世間知らずだった私が、うるさく騒いでいた、スクールカースト最上位の男子に対して「ちょっと静かにしようよ」って注意したことで、目をつけられました。

多分、「なんだこいつ」みたいに思われて。単に、自分たちに歯向かってきたことが気に食わなかったのだと思います。

 

「キモ」みたいな悪口をよく陰で言われたり、他の仲の良い友達とかと喋ってると「調子乗んな」みたいなこと言われたりとかしました。

 

でも、それも、「この子とは仲良くできない」って思って、放っておいてくれればいいのにって。

私だって、無理に仲良くしてほしいわけじゃない。だから、「こういう人もいるんだ、自分とは合わないな」って思って、そっとしておいてくれればいいのにってずっと思ってました。

 

仲良くしてほしいなんて言わないから、目くじら立てていじめたり、悪口言わないで欲しかったな。無理やり存在を無視したりしないでほしかった。

 

 

だから、「嫌い」なものを無理に「好き」にしようとしなくてもいいと思うんです。

でも、「自分と違う」っていうことを認めて、生きることが出来たらいいなって思っていて。

 

 

えっと、だから。

長文をダラダラ書いて、なにが言いたいかっていうと。

 

世の中には色々な人がいて、その人に理不尽なこと言われたりするかもしれない。

でも、その人はその人なりに理由があるのかもしれない。だから、「ああいう人もいるんだ」って程度に思っておけたらいいと思います(もちろん、自分に危害が及んでいないこと前提です)

 

そうすれば、もうちょっと優しい気持ちで生きていけるんじゃないかなあ、と思いました。