在処離れ

やさしく、あったかく生きていきたいです。

sumika

 

大好きなバンド、sumikaのギタリスト、じゅんちゃんが亡くなった。

 

 

つい、この間会いに行ったばかりだ。

12月17日に、sumikaに。

 

突然のことすぎて、感情が追いつかなくて、

とりあえずTwitterに思いを吐き出して、

それから、自分の部屋で、人生で2回目のファンレターを書いた。

sumikaの3人宛に1枚。届くはずもないけど、じゅんちゃん宛に1枚。

 

ちなみに、人生で初めて書いたファンレターもsumikaだった。

 

感情のまま書き終わって、

寝れなくて、ブログを書いている。

久々更新が、こんな虚しいことだとは。

 

死因は、公表されていないから知らない。

知りたくもない。

18時、帰宅途中の車の中で知って、

心臓が鳴り止まないまま家に帰ってきて、

父と母に伝えた。とにかく誰かに言いたかった。

父はすぐネットニュースを調べ始めた。「死因は?」「なんも書いてないってことは…自殺か?」と、好き勝手言っている。

死ぬほどムカついて、「聞きたくない、それ以上、いらない。」と言った。父は、もう、何も言わなかった。

 

なぜか、三浦春馬さんのことを、ぼんやり思い出した。あの時の、衝撃と、自責と、切なさ。

悲しい、は、何故かどこかに置いてきたように感じられなくて、今は虚しさだけが残っている。

 

訃報を知った瞬間、真っ先に、残されたsumikaのメンバーを思った。

今、何を思っているんだろう。

きっと、私には計り知れない悲しみの底にいる。どうか、どうか、その悲しみの先のあたたかい光に、いつか救われる日が来ますように。今、sumikaにふりかかることばが、ひとが、おとが、やさしくてあたたかくて穏やかでありますように。

もう、ただ、祈るだけだ。

 

じゅんちゃん。

じゅんちゃんのいるsumikaに、何度も助けてもらって、何度も生きるちからをもらったよ。

やさしいじゅんちゃんが、どうか、天国で悲しい思いをしていませんように。笑って過ごせますように。

音楽を、言葉を、愛を、たくさんたくさんありがとうございました。

ご冥福をお祈りします。

 

 

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1日経って思うこと。

 

じゅんちゃんがいなくなっても、

私の生活はまわった。

飲み会に行って楽しくご飯を食べている間は、悲しさや虚しさを忘れていたし、

くだらないことで笑えるし、

お腹はすくし、夜は眠いし、

月曜からまた仕事だし。

 

でも、彼らは?

きっと「日常」は、とまったままだ。

日常が動くのは、きっと、物凄くしんどい。

 

私は何も出来ない、何も出来ないけど、

残された彼らのそばに配慮あるやさしい人がたくさんいますように。日常を支えて気づかってくれる人がいますように。

 

どうか、それだけ。

 

 

 

怒る理由を考える、けど。

 

人に怒りたくなった時、理由を考えるようにしている。

 

大学に、大尊敬している教授がいた。

その教授は、誰にも、全く怒らなかった。

 

課題をやらない学生、遅刻する学生。嫌な言い方をする、意地悪な先生たち。

つい、見てるとイライラしてしまうようなひとたちがたくさん集う大学で、その教授の、怒る姿はもちろん、愚痴を言う姿さえ、見たことがなかった。

 

気になって、ゼミの時、「先生って、どうして誰にも怒らないんですか。課題やって来ない学生とかいますよね。」と聞いた。

 

先生から帰ってきた答えは

「…怒る理由がないからですかね」

だった。

 

目からウロコ、というか、そんな答えは予想していなかった。

 

怒る理由がない?怒る理由だらけだろう、

と思ったけど、よくよく考えると、たしかに怒る理由は見つからなかった。課題をやるかやらないかは、学生の自由で、やらなかった時の損失は、学生自身の責任だ。

 

その教授は、良くも悪くも、学生に対して全く責任を負っていない。まあ、負う必要もないのだけど。

 

その答えが衝撃的すぎて、それからは、わたしも怒る理由を考えるようになった。なぜ、今、自分が怒ろうとしているのか。

 

例えば、理不尽な目にあった時、私には怒る理由がある。私が青信号で渡っているのに、信号無視の車に轢かれたら、怒るのは当然だ。

 

でも、例えば、自分の思い通りにならなかったことが起こった時、私に怒る理由はない。思い通りになって欲しかったのは私の願望であり、我儘だ。相手がどうするかは私には決められないし、その行動は相手の責任なのだ。

 

その衝撃を受けた1件があってから、今まで、「あ、私怒ってるな」と感じた時、相手に力任せに伝える前に理由を考えてきた。

その結果、相手に怒りを伝えないことが増えた。怒りを感じていないといえば嘘になるけど、私の感じている怒りが、伝えてもいい正当な怒りなのか、考えるようになった。

 

 

例えば、自分の欠点を他人に指摘された時。突然の予定の変更。彼氏にフラれた時。友達のドタキャン。

 

自分が蔑ろにされたと感じた時、思わず怒りたくなるけれど、1歩引いて冷静になることが増えた。

 

何日も前から決めていた予定をドタキャンし、「突然怪我をした母親の病院に付き添う」と言った友達に対して「いやもっと前に言えなかったの?!!まあまあ前から準備してたんですけど!??!」と思ったけど、その理由が本当なら仕方がないと思えた。

 

あとは、いきなり「別れよう」とLINEをしてきた彼氏に対して「私は好きだったのに!」と泣いて怒りたくなったけど、別れる選択をするのは相手の自由だと思ったし、よく考えると私に怒る理由はなかったので、怒らなかった。

 

具体例をあげたらキリがないけれど、「あ、わたし怒ってるな」と思う時、私に怒る正当な理由があるのか?と考えていたら、人にあまり怒れなくなった。

 

でも、それがいい事なのかどうかはわからない。「良い人」と「都合のいい人」は本当に紙一重だなあと思う。

怒らないから、良い人と受け止められることもあれば、都合のいい人と思われる時もある。

 

ドタキャンを怒らなければ、また繰り返されるかもしれない。でも怒ってばっかりいると、いい人にはなれないんだよなあ。

 

 

あれ、

論点ズレてる。笑

 

きっと、わたし、本当は怒りたい。

いろいろな怒りを、理由を考えることで我慢してきた。いい人だと思われるために。

本当は、友達にドタキャンされたら怒りたいし、彼氏に振られた時だって怒りたかった。

私が怒らないのは、良い人でいるためだ。怒る前に理由を考えるのは、怒らないことを納得させたいから。

 

怒りを伝えることを抑えていたから、どこまでされたら正当に人に怒っていいのかわからなくなった。怒っていい基準を教えて欲しい。

 

一般的に、予定をドタキャンされたら怒っていいのかな。でも彼氏に振られて怒るのはおかしいこと?

LINEの3日未読無視は怒っていい?じゃあ、既読無視は?

「あなたにはこの仕事に就く才能がない」と言われたことは怒っていいこと?それとも、落ち込むべきこと?

 

例は、全部本当は怒りたかったことだ。

おこりんぼだな、わたし。笑

でも(もちろん私だけじゃないと思うけど)、その度、相手にもなにか理由があるはず、と怒りを抑えてきた。

 

だけど、その時に伝えたかった怒りが、時を経て悲しみに変わり、まだ、ちくちくと胸を刺すこともある。

あの時怒ってれば違った結果になったのかもしれない。もしかしたらスッキリ忘れられたかも、とか。

 

どうしたらいいかわからないね。怒るってすごく難しいことだ。怒るということは、きっと傷ついたということだと思うけど、その時に適切に怒れなかったから、傷がなかなか治らないのだ。相手を傷つけない代わりに、自分が傷ついている。その上、「あの人は、怒らない、都合のいい人だ」と思われ、更に傷つけられたら、何のために怒りを我慢したのかわからない。

 

怒りたかった。

でもきっと、この先も怒れない。

 

傷ついたとしても、怒らない理由を考えて生きるのが、結局、1番楽なのだ。

 

 

失恋した日のこと

 

今日は恋愛のことについて書こうと思います。そういえば、今までタブーかのように書いてこなかったなと思って。

 

2年ほど付き合っていた、彼氏がいました。東京に住んでいて5歳上のひと。

彼とは、小学校からの知り合いで、わたしが小学生の頃に好きだった、いわゆる「初恋の人」でもあった。

 

彼は、かっこよくて、頼りがいがあって、優しくて、素敵な人だった。なにより、とても素直で正直でまっすぐに生きていることを尊敬していた。告白された時は嬉しくて、でも彼に見合う人になれるか不安で、不思議な気持ちだった。告白された時、素直に、はいと言えず、私でいいのか…みたいなことをモヤモヤ話したのを覚えている。

 


付き合いたての頃はそれはもう嬉しくて、楽しくて、何するにもワクワクしていた。些細なことでLINEをしていた。

桜が咲いたよ、とか、てんとう虫がいたよ、とか。今日飲み会に行ったら、あなたの名前のお酒があったよ、とか。

そんなどうでもいいこと。たぶん、ありふれたカップルだった。


私も学生だったので、東京に住む彼とは多くても3.4ヶ月に1回くらいしか会えなかったけど、会えた時はすごく楽しかった。

 


1年半ほどすぎたあたりから、だんだんと連絡頻度が減っていることには、薄々気がついていた。でも、久しぶりに彼に会う時には、彼は変わらず優しくて、たくさんわたしを甘やかしてくれた。だから、その度にやっぱり好きだなあって思った。

返信が遅いとか、連絡がこないとかそういうのも、彼はそういうことが苦手な人なんだ、って思うようにしていた。


そして、そのくらいから、私は彼に対して自分の気持ちを何も言えてないことに気がついていた。自分を取り繕っていて、本音を言えなかったから。

今、何を食べたいとか、何がしたいとか、そういう私の希望よりも、彼に喜んで欲しくて、全ての物事を決めていた。

連絡頻度も、本当は最低でも1日1回はやりとりしたかったけど、それも言えなかった。

 

「なんで連絡してくれないの」とか、「遠距離だけど将来どう考えてるの」とか。そういうことはもちろん、「会いたい」と彼に言うことすら躊躇していて、重い女と思われないかなと気にしていた。彼とは1日1回LINEやり取り出来ればいい方で、1ヶ月くらい連絡取らずにいることとか、LINE3日未読無視されることもザラだった。


それでも、わたしは彼氏を信じているというより、彼氏を選んだ自分を信じていた。彼を選んだ自分の選択は間違っていないはず。自分が信じた彼は、自分のことをきっと好きで居てくれるはず。

 

そんなふうに自分の気持ちを誤魔化しながら付き合っていた、とある日。

ちょうど私は東京に用事があり、彼氏に会えるかも、なんて思って彼氏に連絡したら、次の日の朝にこんなLINEが来た。(所々改変しています)

 


すごく迷ったけど、気持ちを伝えておく。

俺ももう少しで△歳になるタイミングでこのままでいいのか考えていました。俺の生活エリアはこのまま東京で変わらないし、○○も変わらないんだと思う。〇〇と進めたらよかったけど、難しいね。

勝手だけど俺が前に進むために、離れようと思う。

会って話そうかとも思ったけど、決意が鈍っても嫌だからLINEにさせてもらった。

向き合い切れなくてごめん。

 

 

元彼へ。

晒すような真似してごめんなさい(このブログを見ることは無いと思うけど)

でも、晒して恥かかせようとか、読者に私の味方してもらおうという意図は全くないです…

 


ただ、当時は複雑すぎて私には扱いきれなかった、自分の気持ちを整理するために、見直したかっただけで。

 

このLINEをもらったのは朝8時とかで。たしか、仕事に行くために車を運転していた。

LINEにはすぐ気がついて、すぐに見たけど、真っ先に感じたのはもしかしたらショックより怒りだったかもしれない。あまりにも突然で、想像していなかったことすぎて、頭は真っ白だったような。心臓もバクバクしていた気がする。


「あ、私振られたんだ」ってことだけはちゃんと分かって、あとの文章はじっくり見ることができなかった。

ちゃんとLINEを見たのはその日のお昼。


ちょっと整理出来た、というか気持ちが落ち着いた時にもう一度LINEを見た。

やっぱり感じたのは怒りだった気がする。

 

なんでLINEで報告なんだ、とか。

向き合いきれないっていうか向き合う気がなかっただろ、とか。

生活エリアのことも、言ってくれたら東京で就職とか考えたのに、とか。札幌をでたくないなんて言ってないし、なんなら付き合いたての頃は、彼氏は「札幌に支社があるから…」みたいなことも言っていたのに、とか。

見れば見るほど、考えれば考えるほど、彼氏からのLINEが言い訳じみて見えた。

 

でも、同時に、私もそうだったな、とも思った。

いいことも、嫌なことも。彼に言おうとはしなかった。嫌われたくなかったから。

将来のことも、重い女だと思われたくなくて何も聞けなかった。

わたしの送る「会いたい」ってLINEが、彼氏にとって嬉しいものなのか、重くて鬱陶しいものなのか、その匙加減すらも、なにも知らなかった。怖くて聞けなかった。どれくらいの頻度の連絡がお互いにとって幸せなのかとか、譲れないところとか。相手の仕事のことや趣味すらも。何も知らなかった。


それは、嫌われるのを恐れすぎて聞けなかったわたしのせいでもあるし、同時に、聞きづらい雰囲気を出していた(LINEの返信が遅いとか、既読無視が多いとかそういうことです)相手のせいでもある。もしかしたら、お互い何かを怖がっていたのかもしれないし、そうではないかもしれない。

今となっては知る由もないけど、今思えば、本当にお互い様だったのだな、と思う。ちょっとずつ、ちょっとずつ、歪みが大きくなっていった。

 

わたしは、彼氏のことは変わらず好きだったけれど。もう相手の気持ちが私に向いていない時点で、恋人の関係を続けるのは無理だなと思った。別れるしかないのだと、思った。


「なんでいきなり別れ話?」とか「あなたの本当の気持ちは?」と問いただしたい気持ちもあった。

未読無視して、怒ってるフリしようかとか、「好きだったのに」と伝えて少しでも何か引っかかるようなことを残してやりたいとか、そんなことも考えた。

けど、そういう自分の怒りやら悲しさやら、虚しさなどのわたしの一方的な負の気持ちは仕舞い込もう、我慢しようと思えた。わたしが何を言っても、私に気がないことは変えられない、仕方ないのだと思ったし、ここまでいい人で頑張ってきたんだから、最後までいい人でいようと思った。

 

返信はちょっと悩んで、こんな感じにした。

 

いいことも悪いことも、そしてこれからのことも含めて、わたしも伝えてない気持ちは沢山あったから、仕方ないのかもと思ってます。あんまり会えなかったけど、色々なことがはじめてで、わたしはすごくたのしかったです。今までありがとう。

 

 

最後まで、8割本音、2割建前、って感じだったなあ。8割本音っていうか、10割本音ではあるけど、言えてないことがあと2割あるって感じか(あれ、足して12割になってる)

 

 

で、もともと遠距離だったのもあって、そのLINEをした時はそんなに寂しい気持ちにならなかったんだけど。

帰り道に雨が降ってきた時に、その状況も相まって、ほんとに泣きそうになった。多分泣いてはいないと思うけど。ちょうどその日AirPodsを家に忘れていて、聞く音楽もなくって、無性に寂しかった。


彼のこと、好きだったなあとか。結婚するのかなとかぼんやり考えてたのも私だけだったかあ、とか。本当は、他に好きな人が出来たのではないか、とか。

どうしたら良かったんだろうっていうタラレバとか、私にもうすこし魅力があればどうだったのかな、とか。なんか色々ぐるぐる考えたけど、ぱちんとはじけて、全然まとまらなかった。多分、まとめる気もなかったけど。

 

 

で、私が返事をした、その日の夜、また彼から返信のLINEがきた。

 

身勝手な連絡なのに、ありがとうって、〇〇はやさしすぎる。こちらこそありがとう。〇〇が俺の事を好きでい続けてくれて嬉しかった。〇〇はちょっと優しすぎるけど、だからその仕事に就くんだね、きっとたくさんの人を救うんだね。

 

 

このLINEを見た瞬間、夜中の12時近くだったけど、めちゃめちゃ泣いてしまった。


くそ。くそ。くそ。むかつく。わたしは大好きだったけど、あなたはそうじゃなかったくせに。勇気出して会いたいって言ったって、3日以上も未読無視して何も返してくれなかったくせに。わたしはこれからもきっと、好きでい続けることが出来た。結局、好きじゃなくなったのはあなたじゃないか。

こちらこそありがとうってなんだよ。わたしがありがとうって言わなきゃいけない義理なんてなかった。ありがとうなんて、言いたくて言ってるわけないだろ。ありがとうって言ってくれてありがとう、って言え。

わたしがどんな思いでこの返事を書いたかなんて、知らないくせに。素直にこれが私の気持ちだと信じて、優しいなんて言って。わたしに、優しさなんて1mmもないのに。わたしだって、言いたい愚痴も、不満も沢山あったのに。

私のこと、なんにも知らないくせに、全部知ってるような書き方して。最後までわたしのことを「優しい人」で終わらせやがって。だからその仕事に就くんだね、なんて適当なことを言うな、全部分かってるようなことを言うな、黙ってろ。

 

全部が悔しかった。泣いてる自分も、本当に好きだったんだと気がついたことも。

 

でも、最後まで、やさしい人、物分りのいい人を、演じてしまった。最後くらい、別れるのやだって言いたかったなと思った。でもわたしにそんなことできる訳もなく。

 

もう彼に返信はできなかった。

LINEの最後は、「身体に気をつけて」で締めくくられてて、本当にこれでもう終わりなんだなと思うと、またちょっと泣けてきてしまった。


そのLINEは、既読無視した。

何が優しさで何が正解かはわからなかったけど、私が返信しないことが、お互いにとって正解だと信じた。本当は、どうしても別れなきゃダメかな、と言いたかったけど。


しばらく泣いた。しばらく泣いて、切り替えようと思うと、なんか惨めでまた泣けた。振られることがこんな虚しいと思わなかった。

泣いて、悲しい気持ちが落ち着いても、なぜか涙は出続けた。

きっと、彼は全く泣いていないのが、また悔しかった。フッたことを後悔させてやりたいと思ったけど、きっと彼は後悔するようなひとじゃないから、それもまた、わたしだけつらいみたいで悲しかった。

散々泣き終わったあと、色々考えて1時間くらいは寝れずにぼ〜っとしていたけど、気がついたら寝ていた。


次の日、朝起きたら、目は腫れていなかった。家族にも多分バレなかった。

友達に振られた話をしたら、『しょうがないって思えるって強いね。』『自分の気持ち閉じ込めてたらよくないよ』、みたいなことを言われたけど、わたしは強くもないし気持ちを閉じ込めたつもりもない。相手に言わないだけで、ちゃんとムカついていたし、悲しかった。


振られた話を笑って話すのも、なんともないフリするのも結構大変だったけど、心配はされたくなかったので、「ほんとムカつくよね」と怒るフリして誤魔化した。心配されるような言葉をかけられる度、思い出して泣きたくなってしまった。

 


もう金輪際、やさしい人になんてなるもんかと思ったけど、結局やさしい人になりたい、という夢からは抜け出せなかった。

やさしい人になりたい。ひとの気持ちをわかろうとすることをあきらめたくない。わかりたい。

今度は、伝えたいこと、ぜんぶ、余すことなくつたえられるひとと一緒にいたい。

難しいけど。めちゃくちゃ難しいけど。でも頑張りたいなあ。すきなひとの前でも、自分がすきな自分でいられるために。

 

 

大学院の2年間を振り返る

 

こんばんは。

久々のブログ更新です。

 

最後のブログ更新を見ると、7月ですね……。

約、1年ぶりの更新かぁ。

 

書こう、書こう、とは思ってたんだけど。なかなか自分の考えることと向き合ったり、それを文字にする余裕が無かった……(言い訳)

そして、この記事も実は4月辺りに書き始めていたんだけど、しっくりこなくてずるずると。こんなに日が経ってしまいました!

 

そんなこんなで、呑気に更新をサボっている間に、なんと大学院を卒業して半年が経ちました。(すごい!)

卒業したこの年に、一度2年間を振り返ってみてもいいかなぁと思ってブログにすることにしました。

 

大学院の2年間はどうしても書き残さなきゃ、と思っていたし。

どうせ、何年か後には、このつらさも全部忘れていて、鮮明に思い出すことなんて出来ないんだから。それなら、こんなに頑張ってたんだよ、ということを覚えているうちに記しておきたい。笑

 

 

大学院生活はね、「つらかった」とか「くるしかった」とか、そういうような簡単な一言では言い表せない2年間だった。

 

「大学院に進んで良かったか?」と言われると、間違いなくyes。

ただ、「もう一度行けるとしたら行くか?」と言われると間違いなくNo。

大学院に進んだことに全く後悔はしていないけど、二度と戻りたくない。そんな2年間。

 

 

まっ、総括は後に書くとして、M1(大学院1年)から振り返ってみます。

 

 

【M1:4月】

もうあんまり覚えていないのだけれど、期待4割、不安6割みたいな感じで入学した気がする。

このブログでも散々書いた気がするのだけど、当時大学4年だった私は、とにかく早く大学を卒業したかった。

学部の友達は、非の打ち所0で、やさしくて、真面目で、楽しくて、本当に自分が情けなくなるくらいいい人たちばかりだったけど、(当時は)なぜかゼミにも学部にも居場所が無いように感じていた。わたしがそこを居場所だと認めていなかっただけかもしれない。

 

とにかく早く大学を出たい、早く大人になりたいと思っていた私は、「大学院に入学する」というより、「大学を卒業する」ことが嬉しかった。(そのくせ、卒業式では寂しくなって結構泣いた)

 

当時、私はメンタルよわよわだった上に、学部のゼミの教授から「マスター(修士課程)のMはmad(気が狂う)のM、ドクター(博士課程)のDはdepression(うつ病)のD」と散々聞かされていた私は、大学院にさほど憧れもなかった。

でも「学びたいことが学べる」というワクワク感も少なからずあった気がする。

そんなこんなで、大学院入学に関しては「これから頑張るぞ…!」という覚悟を決めるような気合いが4割、「こわい……」という不安が6割、という感じで入学した。

そういえば、ゼミも入学後、直ぐに決めた。ゼミ担にこだわりなどなく、誰でもよかった(コラ!)ので、1番優しそうな先生にした。

 

【M1:5月】

大学院生といえば、討論!ディスカッション!プレゼンテーション!(1番苦手)

…みたいなものを想像していた私は、入学してからというもの、レポート作成(と発表)が続く日々に、「あれ…案外なんとかなりそうだ…」と呑気に思っていた時期もあった。

大学院受験がすごく難しかったので、授業内容もついていけないのでは無いかとビクビクしていたが、想像していたほど難しくはなく、教授は丁寧に教えて下さったので、ほっとしていた。

 

しかし地獄はここからなのだった!

 

 

【M1:6月〜夏休み】

6月頃から、「ロールプレイ授業」というものがはじまった。

ざっくり言うと、「カウンセリングを大勢に見られながら行う」という感じ。もちろん、私がカウンセラー役で。

これがまあ、めちゃくちゃしんどかった。

 

もう当時の苦しさはよく覚えていないけど、苦しかった、辞めたい、と思ったこと自体は覚えている。

 

入学して約2ヶ月。カウンセリングとは何かなんて1mmも分かってない。どうやって人の話を聞けばいいかなんて、もっと分かってない。

何一つわからぬまま、ただ相手の話を聞いているフリをした。フリをすることで精一杯なので、当然クライエント(役)の話は全く頭に入っていない。

聞いているフリですら上手くいかず、教授には、相槌の多さやタイミング、視線、沈黙の長さ、発話の意図など、私の話の聞き方全てにツッコまれた。

教授からのそのツッコミは、「私の話の聞き方」ではなく、「今まで生きてきた私自身」を否定されたように聞こえて、とても悲しく、授業は毎回泣きそうだった。

 

自分を否定されている、という悲しさは段々、「なんであなたにそんなこと言われなきゃいけないんですか?」という怒りに代わった。

というか、その授業に参加し続けるためには、「わたしが否定されているわけではなく、教授に理不尽なことを言われている」と思い込む必要があった。

怒っていないとメンタルが持たず、授業に参加していられなかったので、その授業は、いつも攻撃的なマインドで挑んでいた。そうすると、幾らか楽になり、なんとか授業は持ちこたえることができた。

その代わりに、そこにいた教授(3人)全員嫌いになった。……対価が大きすぎる!

 

学部時代は、責められるようなことがあると「なんでわたしはなにも出来ないんだろう…死にたい…」という思考回路だったけど、この頃の思考は「なんでこんなに追い詰められなきゃいけないの?いつか(相手を)殺してやる」だった。ある意味健康的かもしれない。

 

 

【M1:夏休み】

夏休みで解放されると思いきや。

めちゃくちゃ大イベント、学外実習。

 

とある精神科病院に行きました。

実習が始まる前は、それはもう嫌で嫌で嫌で嫌で。

精神科病院に行くことが嫌なのではなく、実習自体が嫌だった。

わたしは見通しがないと不安になっちゃうタイプので、何をするのか全く分からない実習は恐怖でしかなかった。

 

とにかくすごい嫌だったけど、同期と同じ実習先(めちゃくちゃ幸運)だったのが救いだった。

私が「実習嫌だね〜」と言った時、「頑張ろうよ」と言われるのではなく、同じ温度で「嫌だね」と言われることにほっとして、頑張れる気がした。

 

そんな実習は、思いの外楽しかったと記憶している。楽しかった、というのは不適切かも。

すごく勉強している、学んでるなあという感じ。充実していた。

大学院より幾らかマシ(表現が適切ではないかと思うが、それでも"マシ"という表現しかできない)だと何回も思った。大学院に戻りたくないとめちゃくちゃ思った。

大学院の何がそんなにしんどいのか自分でもよく分かっていなかったが、それでも大学院に戻 るくらいならこのまま実習していたいと本気で思った。

 

 

【M1:9月〜3月】

実習を充実感MAXで終え、大学院生活に戻った。まじで嫌だったけど、仕方がなかった。

 

しかも、このタイミングで、大学院の友達が1人辞めた。入学した時2人いた同期は1人だけになってしまった。

本当の理由は本人にしか分からないけれど、大学院のストレスも関係していると思う。

 

…実習後のM1の大学院生活は、実はそこまで大イベントは無かった。毎日嫌だなあ、辞めたいなあと思って大学院に通っていたけど、そんなに苦しい出来事はなかった。と思う。

 

 

日課題や、報告会や、ケース(学内実習)に追われて、忙しなくすごしていた。今思えば、割と平和に。

 

 

 

【M2:4月〜7月】

進級した。

M2が卒業して、M1が入学してきた。

わたしは後輩の立ち位置が好きなので、先輩になるの嫌だなあとぼんやり思った。

 

また、コロナウイルスの影響で、大学院生活にも色々変化があった。

構内に入れなくなって、授業などは家で受けた。これは、少なくとも、私にとってはすごく良かった点だと思っている。

 

学校まで車で40分。往復約1時間半。

研究室は陽の光が入らずいつもジメジメしている。気持ちも落ち込む。

そんな場所に行かなくても、家で授業を受けられることはだいぶ心を楽にさせた。

服も、上さえちゃんとすれば、下パジャマでもバレなかったし。

9時に授業開始で、8時40分に起きてもギリギリ間に合った。

 

そしてこの頃、修論のヤバさを自覚しつつも、コロナのせいにして何も手をつけていなかった。修論やらなきゃ……は常に頭の隅っこにあって、何をしてても100パーセントで楽しめない私がいた。

本来なら学外実習がこの時期にあるはずだったけれど、コロナで延期になったため、忙しいながらも平和に過ごしていた気がする。6月くらいから学内実習が再開したので、学校には行き始めたが、それでも週2とかだったんじゃないかしら…

 

 

【M2:夏休み明け〜卒業】

夏休み。学生生活最後の夏休みだ〜と弾けた……わけでもない。

コロナが蔓延しまくっていたので旅行にも行けず、家ですごした。何をしてたのかよく覚えてないけど、夏休みはあっという間に過ぎた。

夏休みの最後の方に、就職の為に帯広まで職場見学に行った気がする。思えばこれが最後のバケーションだった。同期と行ったので、8割は旅行、2割職場見学の気持ちだった。

結果、帯広旅行は楽しすぎて、帯広から本当に帰りたくなくて、このまま消えてなくなりたいな〜と思っていた。

 

 

そして。

 

夏休み明け、怒涛の毎日。

すぐに4週間(2週間+1週間+1週間)の実習。

なぜか実習先が3つもあったので、事前訪問や事前指導も3箇所分あって、それだけでめちゃくちゃ萎えた。

実習の合間に授業があったので、実習して、日誌書いて、授業、そしてまた実習に行くという鬼のようなサイクルだった。

 

1つ目の実習先は楽しく終え、とても勉強になったが、2つ目の実習先は、まぁ重くて重くて、毎日本当にしんどかった。

なんか、今振り返ってもこの実習先だけ系統が違ったというか、なんかこれまでと違うベクトルのしんどさだったと思う。

この実習先の職場の雰囲気もなんか不思議なものだった。雰囲気は特別良くもないし、特別悪くもないんだけど、ず〜っと漂っている絶妙な居心地の悪さ。実習生のわたしが感じていたくらいなのだから、そこで働いている人はどうだったんだろう。わからないけど。

 

そして、この実習中になんと修論の中間報告会が開催された。(なんでやねん)

修論している場合じゃなかったけど、修論報告はしないといけないので、空いた土日に報告会の準備をした。実習は1日お休みを頂いた(もちろんその分は後日に回る)

 

今までなら、報告会なんて嫌で嫌で仕方がなかったけど、報告会より実習のしんどさが勝ったので、報告会なんてもうどうでも良かったし、どんな意地悪な質問も乗り越えられる気がした。実際、中間報告のことはよく覚えてないから教授の攻撃を上手くかわせたんだと思う。

 

先にも書いたが、わたしは追い込まれると怒りに変わるタイプなので、2つ目の実習は常にイライラしていた。

実習中は色んなことが重なって、内心ずっとイライラしていたが(誰も悪くないのに)、態度には出ていなかったのか、実習担当には「飄々とこなしているように見えた」と評価をいただいた。良いのか悪いのか。

ちなみに、ここの実習先での実習評価の点数はそれまでの実習先と比べて1番良かった。わたしの中では1番きつい、二度とやりたくない実習だったけど。

 

3つめの実習先はこれまた内容的には重かったが、わたしは好きだった。ただ、事前訪問で実習担当だ、と紹介された先生には、実習中1度も会えなかった。

実習先で、心理の先生のお話をもっと聞きたかったな、というのが少し心残りではある。

けれど、実習自体はとても勉強になり、充実して終えることが出来た。

 

そういえば、3つめの実習をしている最中、夏休み、帯広に職場見学に行ったところに履歴書を出した。履歴書の他に、自己PRをA41枚で出さねばならず、長考した。実習から帰ってからも実習日誌が残る中、自己PR文を考えて書くのは相当疲れたけど、なんとか最終日に提出した。

が、履歴書を出すのが遅すぎて選考まで行かずに落ちた。後で知り合いに聞いた話では、もう私が履歴書を出した時点で、他の人の採用が決まっていたらしい。

 

 

そして、実習を終えるころには11月。

修論をやり始めないと本当にまずい時期に来ていた。7月、10月と報告会を適当にこなしてしまった私は、この期に及んで、分析方法が決まらず、めちゃくちゃ病んでいた。

こうやって病んでいる間にも実習報告があったり、就活があったり、学内実習があったり、紀要(短い論文)を書かないといけなかったりとやることは山ほどあり、とにかくずっと追い込まれていた。

 

この時点で私の中の優先順位は、実習報告>紀要>修論>>>就活だった。

 

 

もう本当に、この時期はとにかくイライラしていて、シャドーボクシングしたり家で叫んでみたりしていた。夜も追われてあんまり寝てなかったから肌も荒れていた。

 

そうこうしているうちに、実習報告と紀要を締め切り前ギリギリで終え、12月31日を迎える。

この時点で修士論文進捗0文字。

論文どころか分析も終わっていない。

唯一の同期と「年明け本気でやろう」と謎の契りを交わした。

ちなみに修論の締切は1月29日。だいぶ詰んでいる。

 

年明けからはもう修論修論修論…と思いきや、合間に就活が2回も入った。

正直、修論が本気でヤバすぎて、就活してる場合じゃなかった。だって、卒業しなければ就職もできない。面接に行ったけれど、どちらも落ちた。特にショックは無く、「あ、落ちたか…」位だった。そんなことより本当に修論がヤバかったのだ。

 

この頃のツイート、狂気じみてるから抜粋して貼っておこ。

 

 

 

 

多分、分析が終わったのが提出締切の10日くらい前。

そこからはじめて書き出したけど、まあ終わらない終わらない。書いても書いても終わらない。最後のツイートにも書いてあるけど、締切が金曜で、その週の月曜に、指導教官にまだ論文を見せられないという状況(先生ごめんなさい)。

 

その頃の生活は、朝8時頃に起きてご飯食べながら論文書いて、あとはモンエナとコーヒーだけ飲んで、夜中の3時とか4時に寝るという感じ。これが1週間続いた。担当教員には締切3日前くらいにはじめて提出した。今思えば本当に申し訳ないです…

 

夜中の2時頃、カフェインの取りすぎで、手が震えて動悸がめちゃくちゃ激しくなって、床に座り込み、立てなくなったこともあった。

まともに食べていなかったので頭痛と下痢が凄くて(汚い話ですみません)、「あ、わたし修論終わらせないまま死ぬのか…」と思った。「まあ、どうせ死ぬなら遺書でも書いとこ」と思ってスマホに「すべて大学院のせいです」とメモを残した。

夜中の3時頃、カフェイン中毒で手が震えてる動画を取り、同期に「わたし死ぬわ」と動画と一緒にLINEを送った。同期からすぐに返信があり、めっちゃ心配してくれたけど、冷静にこの時間まで起きてる同期もしんどいだろうなと思った。

 

この期間は、3日で2キロくらい痩せました。修論ダイエット。

 

 

そしてそして。

提出日の当日、金曜日。朝の4時頃まで書き続けて少し寝て、9時に家を出た。

17時提出締切で、15時くらいまで学校で同期と執筆作業。

総ページ数で言うと30枚くらいだった気がするけどよく覚えてない。

 

どりゃあ!と学生課に叩きつけて提出した。実質1週間で書いたと言っても過言ではない修士論文。1週間の割には、執筆の質は悪くはなかったと思う。分析の質は悪かったけど。

達成感はそりゃまあ凄まじいものがあった。この世の全てがどうでも良くなった。家帰って冷静に読んだら、結構な誤字やミスを発見したけど、まじでもうどうでもよくなって目をつむった。

 

開放感と達成感を感じたのも束の間、すぐに修士論文報告会と就活をしなければならなかった。同期は年末に就職が決まっていたので、若干置いてけぼり感はあったが、徐々に求人も増えてきており、いつか決まるだろうと呑気に考えていた。

 

1年間恐れに恐れた修士論文報告会は、遠隔で開催されたこともあり、思ったよりダメージは受けなかった。

色々ありがたすぎる(意味深)ご指摘やご意見をたくさん頂いたが、なんとか、かわした。かわしたという表現がぴったりすぎる。なんとなく答えられる範囲のことを答えたフリしたという感じ。

 

就活は、界隈ではまあまあネームバリューのあるだろう(と思われる)病院の面接を受けた。この病院は待遇面が悪く、受けた後にどうしようかちょっとだけ迷った。でも、新卒1年目だし、ネームバリューの恩恵を受けたい気持ちもあり、そこに就職することに決めた。

 

就職面接は正直よく覚えていないが、

 

このエピソードだけは生涯忘れられないと思う。面接の帰り道、「もしかして学士論文と聞いたのではなく、学位論文と聞いたのでは?」と気が付き、「落ちたか……」と思ったことだけは絶対に忘れない…

 

面接を受けた次の週、内定が決まった。

ホッとしたのと、学生生活終わりの寂しさと、やっと大学院から抜けられる嬉しさと。

大学院から抜けられる嬉しさの方が多かったかなあ。

 

そして卒業式したり。

ちょっとだけ東京旅行したりした。

春休みも、学内実習や、就職先での引き継ぎ勤務があったから、そこまではっちゃけられなかったけど、最後のバケーションを自分なりに楽しんだ。

 

 

 

……そして今に至るって感じです。

ほんとに濃厚だったなあ、2年間。

何を学んだかと言われると…なんだろう。

耐える力はついたかもしれない。色々な圧力や、理不尽や、プレッシャーに。

 

あと、自分にも他人にも寛容になったと思う。

大学のときは、とにかく自分も他人も大嫌いで。でもそんな自分も許せなくて、他人も自分も好きになりたくて、必死に生きていた。

大学院に入ってからは、あまり自分が嫌だとか、他人が嫌だとかは思わなかった気がする。それは、きっと大学院に進んだおかげで。わたしがなにをしても、同期や先生が「大丈夫だよ」と言ってくれる経験を積み重ねたからだし、わたしも同じく、ひとに「大丈夫だよ」と言い続けてきたからだ。

これだけでも、大学院行ってよかったかなと思っていることのひとつ。

 

あとはね、私は何も知らないんだということを学んだ。ひとの心をわかったと言う時、そのほとんどは「わかったつもり」のことで、本当の「わかった」にはたぶん一生たどりつけない。でも、「わかる」に近づく努力を怠らないこと、それが心理士という仕事なのだと思った。

「ひとのきもちがわからない」ということはわたしの中では真実だけれど、それを堂々と言うことは「わかる」ことを諦める免罪符にもなってるのかも、と最近思う。

「わからない」ながらも、「わかる」ことを諦めないにんげんでいたいなあ。それは、心理士としても、ひとりのにんげんとしても。

私は、まだ「わかった」に出会えたことがない。でも、なるべくわかろうとする人でいたい。わかるために努力していきたい。そう思えたのも、たぶん大学院のおかげです。

 

先にも書いたけど、大学院を卒業した節目でこのブログをちょこちょこかきはじめ、今、卒業して半年経ってしまった。

それは、社会人として半年経ったということだけれど、振り返るとここまで必死に駆け抜けてきた気がする。自分のきもちにあまり目を向けず、目の前のことをただひたすらこなしてきた感じ。

だけど、公認心理師試験や臨床心理士試験も終わり、仕事も少しずつ落ち着いてきた今、また自分のための勉強をしたいなと思っている。心理士としての自己研鑽。

自分のことも少しずつ見つめ直していきたい。自分の気持ちとか、アイデンティティとか、ライフスタイルとか。

 

もっともっとたくさん勉強しないと。

大学院振り返るとなんとも大変な2年間だったけれど、これからの人生は、きっともっと大変だから。豊かに、豊かに、生きていけるように、がんばろう。

ひとにやさしく、あたたかくなるために!

 

 

 

深夜の呟き

 

 

なんでかなあ…

 

夜になると、くるしい。

 

木村花さんも、三浦春馬さんも、

死ぬ時どんな気持ちだったんだろう。

 

悲しくて、つらくて、絶望的で、誰かに助けてもらいたくて。そんな気持ちで死んだのだとしたら、そんなことは余りにも哀しすぎる。

 

 

死んじゃダメなんてわかっている。大きな迷惑がかかることも、生きていればいいことがあることも、嫌なことはずっと続かないことも、愛してくれる人がいることも。悲しむ人がいることも。

 

死ぬことはものすごい痛みを伴うことなんだと思う。自分自身の身体も、こころも、そして、自分を愛してくれた人のことも。

 

でも、それを凌駕するほどの、深い苦しみや悲しみがあったのだとしたら、そのかけらにすら気づかなかったことが哀しくて、虚しい。

 

あんなに優しくて、真面目で、笑顔が素敵なひとが、哀しい気持ちで死んでいくことがつらい。

 

かなしい。生前の写真や、動画を見る度、哀しい。

 

木村花さんは、死ぬ前に、「死ね、気持ち悪い、消えろ、今までずっと私が1番私に思っていました」とツイートしていた。

 

この一文を見たとき、涙が止まらなかった。

その夜、布団で一人きりになって、自分に「死ね、気持ち悪い、消えろ」と言った。めちゃくちゃ痛くて、また泣いた。

 

周りにそんなこと言われて。自分も自分に向けて言って、味方がいなくて。じゃあ誰が彼女を肯定するんだろう。彼女のことを愛する人は沢山いるだろうけど、その人はそれを伝えてあげたのだろうか。

 

もし、彼女が、孤独で、つらくて、消えてほしいくらい自分が嫌いで。

そんな気持ちのまま、死んだのだとしたら、私は死ぬことを責められない。

若いのに勿体ない、とか、生きていれば勝ちだ、とか、死ぬのだけはダメだ、とか私には言えない。

 

 

彼らが死んだ事実がくるしいと言うよりも、そんな気持ちを想像して、死ぬ瞬間の彼らの想いを想像して、苦しくなる。

 

せめて彼らが今、彼らの望む世界で笑っていますように。そんなことを願うばかりです。

 

 

 

 

 

過去を伝えること

 

 

こんにちは。

割とタイトル通りの話です。悩みなのかな。

 

とても仲の良い友達がいます。

先日、その友達に「成人式の写真が見たい」と言われました。

 

めちゃくちゃドキッとした!

なぜなら、成人式に行ってないから。笑

 

友達にそう言われた瞬間、まず、頭の中が「どうしようなんて言おう」でいっぱいになり、ぐるぐるぐる!と超高速回転し、結局、

 

「成人式行ってないんだよねー。ちょうど風邪ひいちゃって、行けなくてさぁ」

 

と嘘をついた。

 

 

家に帰ってからそのことを振り返って、とてつもなく後悔した。

 

あんなに「もう大事な人には嘘をつかない」と誓ったのに。

人に嘘をついた時、撤回出来なくて苦しくなること、学んだのに。

その人のことが大事になればなるほど、自分自身がついた嘘に苦しめられて、結局、自分の後ろめたさから大事な人を手放してしまうことも、学んだのに。

 

 

「あぁ…またやってしまった……」

と嘘ついたことを嘆きつつ、「じゃあ成人式に行かなかった本当の理由をその人に言う選択肢はあったのか?」というと……うーん、無い気もする。

 

 

何回かこのブログでも言ったと思うけれど、私は中学でいじめられていた。

 

全然ひどいものじゃなかったけど、今でもその子たちには会いたくない。影で笑われるんじゃない?とか、SNSで変な噂立てられるんじゃない?とか、そんなことを考えてしまったりする。

 

そんなこんなで、中学の交友関係には全くと言っていいほど良い思い出がなく、むしろ消し去りたい記憶ですらある。

そんな人たちにわざわざこちらから会いに行くようなこと、なんでしなきゃいけないんだと思った。だから、成人式は行かなかった。

今でも、「成人式行けばよかった」とかは全く思ってないし、行かないという選択自体は後悔してない。

 

ただ、きっと、私自身に、「成人式に行かなかった理由」に「恥ずかしい」という思いがある。

要は、いじめられていたことを、多分恥ずかしいと思っている。

 

私にいじめられる理由がないことは理屈ではわかっているつもりなんだけど。

私はいじめる人たちになにかしら(いじめたくなるような)影響を与えていたのだとは思う。それが性格なのか、外見なのかは分からないけど。

まあ、だからと言って私にいじめられる理由は無い。

そう頭で思えるくらいには大人になった。と思いたい!笑

 

だけど、やっぱりどこかに「いじめられるやつ」=「弱い」という考えがある。

 

私が中学生の時、私から見た【いじめる側】の子たちは、圧倒的に強かった。

スクールカーストの最上位にいて、なんかいつもキラキラしていた。選ばれる側じゃなくて選ぶ人たち。誰と遊ぶか、誰と話すか、何をするか、全部彼らが決めていた。

 

毎日楽しそうで。大声ではしゃいで。何を言ってもそのキャラと立場で、許されていた。

 

私が「やめて」と反抗しても、「は?何なの?死ねよお前」とむちゃくちゃな理論で言える強さを彼らは持っていて、私には言い返せない弱さがあった。

 

(強い弱いをどう定義するかはちょっと置いておいて)あの頃は、間違いなく、彼らが「強い」立場で、私は「弱い」立場だったんだなあ。それは周りから見てもそうだったと思う。

 

いじめられていた過去から離れた今は、もうどうでもいい過去になっている。中学でずっと仲良かった子もいたし。ていうか、そのいじめてきた人達以外とは、仲良くやっていた。

 

でもねー。 「いじめられてた」って言うことは、「私は弱かったんだ」って言うことと同義のような気がしてしまって。

 

なんか、その、私は「弱い」立場で、いじめていた人たちが「強い」立場だっていう、クラスの中の上下関係の構図が今でも頭から抜けてなくて、他人に自分の過去を言うのを躊躇わせてる。

 

 

だから、誰にも中学のいじめられ経験を話したことがないし、成人式に行かない理由も話したことがない。

「成人式行かないの?」って親にも当然のように聞かれたけど、「行きたくない」の一点張りでなんとか誤魔化した(誤魔化せてるのか?笑)し、大学の時の友達には、「成人式行ったよ!楽しかった^^」と適当に嘘をついた。

 

 

今回の件も、

「成人式…行ったけど携帯変えて、写真残ってなくて。」

とか、適当に誤魔化せばよかったんだろうけど、大切な友人だったこともあり、つい、「私のことを知ってもらいたい欲」が出てきてしまった。

 

自分のことを「言いたい」欲が出たのにも関わらず、超高速回転した私の脳は「言わない」という結論を出し、結局、「風邪ひいて成人式に行ってない」という、ちょっとレベルの下がった嘘をつくことになった。

 

 

…もし本当のことを言っていたら、どうなっていただろうか。

相手からの反応を聞くのも、実はちょっと怖い。

 

「いじめられていた」と言うことでその友人が引くような人間ではないのはわかっている。絶対。

だから、その事実を言うこと自体に恐れはない。

けど、私への印象が変わるのを、恐れている。

 

友人が持っている、今のわたしのイメージ、を崩したくないというか。

友人の「いじめられるような人間じゃない」ってイメージが揺らぎそうなのが怖いというか。

わーーー上手く言葉に出来てないよね。伝わってないよね。笑

 

 

なんだ、えっと。

 

友人には、今まで私と関わる中で少しずつ積み上げられきた私のイメージ像があって。

それは、例えば「よくしゃべる」とか「優しい」とか「面倒くさい」とか。

私と過ごす中で、そういう「○○」が積み重なって【私】という像が友人の中にできてるはずで。

 

そこに「いじめられていた」というイメージが入ることで、「いじめられるようなことがあった」という(本当でも嘘でも)別のイメージを付けられるのが嫌だ、という感じ。もしくは、「こういうところがいじめられる原因だったんじゃない?」って思われたりとか、そういうのが嫌。

 

わかりづらいなぁ。

 

例えば「いじめられてたの」と友人に言ったとする。

そうしたら、「もしかしてこの子は内気だったのかな?」とか。「変人だったのかな?」とか。勝手に思われたり。

「○○は自分の意見を言わないから、いじめられたんじゃない?」って、思われたり。

 

そういう私が勝手にいじめ被害者に持っている「いじめられイメージ」みたいなものが、相手の【私】像に加わるのが嫌だ。そんな感じ。

 

 

 

…あー、なんか書いてて具合悪くなってきた。

結局、私が一番、【いじめの原因は被害者にある】って考えに囚われているのかもしれない。理屈ではそんなことないと思っていても、

「自分の意見言わないからいじめられるんでしょ?」とか「反抗しないから悪口言われるんでしょ?」って思ってる自分がどっかにいるんだ、きっと。

 

だって、過去のいじめられていた自分を振り返ると、いじめられる理由なんていくつも見つかる。

空気を読まなさ過ぎた。

スクールカーストをわかってなかった。

身の程をわきまえてなかった。

 

もっと気を遣えていたら、上手く過ごせたと思う。

もっと周りに同調していたら、楽しく過ごせたと思う。

 

こうやって、いじめられた理由を、いくつもいくつも自分に探して、原因が見つかってしまう。

 

 

ーーーーー

 

 

…書いてて頭の中がクリアになってきたぞ。

 

そうか。

 

私にとっていじめられ経験を人に言うっていうのは、きっと、「自分のダメだった所を人に言う」ようなものなんだ。だから言えないんだ。

 

「中学の時にいじめられてて…」って言うのは、「私にいじめられる原因があったの」と伝えているのと同義だと(私が)思い込んでるからだ。

 

 

 

そういえば昔、Twitterに「いじめられてた」っていうツイートをしたら、「意外。なんで?」と(いうような意図の)リプライが来たことがあったなぁ。

今思えば「なんで?」ってリプライ自体、無意識に被害者に原因があると思っているから出る言葉。

 

いじめられていた過去を他人に言うことで、

被害者側(私)に原因を求められるのが怖い。

たとえ言葉に出されていなくても、「いじめられていた」と言うことで、少しでもいじめの原因を「私」の中に探されることが怖い。

 

太字に赤で書いたけど(笑)、これだと思うな。

自分でもしっくりきた。

 

自分で自分を卑下するのはいいけど、他人に悪口言われたり、指摘されるのは絶対に嫌。これに近い気がする(笑)

自分でいじめの原因を考えるのはいいけど、他人に考えられたくない。「いじめられるような人間だったんだ」って思われたくない。

 

そういうプライドの高さ…プライド?違うか、見栄っ張りな感じ?

完璧主義で、見栄っ張りなところが私に言えなくさせてる。

 

 

今の自分に自信がないから、なおさら過去の「いじめられていた」というイメージで今の自分が覆されそうで。

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

でも…本当にどうしよう。わざわざ言うことでもないけど、

また似たような機会があれば…言ってみようかな。本当のこと。

それで落胆されたり引かれたら「それまでの人だったんだ」って思えばいいのかな。

 

でも、もう「それまでの人だ」って言って切りたくない、それくらい大事な友達になってきている。

言って引かれたら立ち直れなさそう(私が) 

 

言うの勇気いる。言わずに済むなら言いたくない。でも知ったうえで仲良くしてほしいという思いもある。

 

もし言わないでいて、なんかの拍子でバレるほうがいやだなぁ。

嘘つきたくないよ~。

 

 

あとはもう、私の勇気の問題なんだよね。

嫌われる勇気、信じる勇気、自分の過去を受け入れる勇気。

 

よし、次は、言ってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログを書く理由

 

 

こんにちは。

 

なにか文章を書きたい気分だったんですけど、特に書くことが思いつかなかったので、ブログを書く理由とブログタイトルの意味でも綴ってみることにしました。

 

 

ブログ。

 

わたしは3日坊主なので、何かが続いたことがない。

習い事も部活も日記も、最初は頑張るけどなんやかんや途中でやめることが多い。

Twitterも、垢消しを多分10回以上はしていて、色んなジャンルを渡り歩いては消えてきた。

とにかく何も続かない。

 

「努力しない」「集中力がない」

……私を表すのに適切な言葉な気がする。

 

 

まあそんなわたしが、このブログとお悩み吐き出し用のTwitterだけは、なんとか2年くらい続いている。(途中休み休みではあるけど)

 

 

そもそもなんでブログ書き出したかというと。

 

 

1つは、色んなブログを見て、救われてきたから。

 

大学3.4年の苦しい時期、とにかくGoogleで「大学 ゼミ つらい」とか「生きづらい 無理」とか(具体的な言葉はよく覚えてないけど)検索しまくってた。

そうしたら、やっぱりブログが1番検索に引っかかるんです。

 

どこかの知らない誰かが、同じように悩んで綴った言葉に、確かに私も救われていた。

占い師とか、カウンセラーとか、そういう人たちのやさしい言葉より、同じように苦しんでいる人たちの叫びに安心していた。

 

だから、わたしが綴る言葉や、わたしの想いも、もしかしたら誰かと同じ悩みなのかも、とか。

同じ悩みを持つ人と交流できたら頑張れるんじゃないかとか。そんなことを思って、書き始めた記憶。

 

まあちびちびと書いてはいるけど、ほぼ独り言のようなブログだし、更新頻度も高くはないので、読者の方は極小数なのだけど。

 

でも、このブログ以外の場で交流できたり、励ましあったり、そんなことができている。それだけでブログやってよかったと思う。

 

初めて誰かと会ったり、話したりする時って、「いかに自分の嫌なところを見せないか」を考えてお行儀よく振る舞うんだけれど、ここのブログを見てくださってる方やTwitterで繋がってくださってる方は、私のダメなところを既に沢山知っているわけだから、そこを心配する必要が無くてうれしい。

 

何を言っても、何を呟いても大丈夫な感じがある。

そういう場所に出逢えたのは嬉しいことです。大切にしていきたい縁だなぁ。

 

 

 

あと、ブログ始めた2つめの理由は、綴った言葉は誰にも侵害されないから。

 

自分の想いを言葉に出して人に話すと、色んな飾りがついて返ってくる。 

 

例えば、「今日てんとう虫見つけたの!春だなぁと思って嬉しくなったよ。」と友達に言ったとします(例が雑)

そしたら、「私もてんとう虫見たよ。」とか。「俺はちょうちょ見たけど。」とか。はたまた、「てんとう虫ってキモくね?」とか返ってくるわけです。

 

嬉しくなったことを共有するって意味では、もちろん良いのだけど。

でもそれで自分の嬉しい気持ちが揺らいだりすることが多くて。

「あ、なんだ、Aちゃんは既にてんとう虫見てたんだ……」って無駄に悲しくなったり。

「てんとう虫よりちょうちょの方が春っぽいじゃん……」って僻んだり、恥ずかしくなったり。

「てんとう虫ってキモいのか………確かによく見たらキモイかも……」って考えたり。

 

 

例がわかりづらくて伝わってるかわからないけど…

 

 

うーん、なんていうか、自分の大事にしていた気持ちって、他人に話した時点で泡みたいに消えてくことがあって。

 

それまでひとりで大切にあたためていた気持ちが、他人に話すと自分のものじゃなくなる感じ。

 

「てんとう虫見つけた!嬉しい!もう春だ!」って気持ちも、ひとに話すと、レスポンス次第で嫌な気持ちに変わったりする。自分の気持ちが揺らぐというか。

 

他人との会話においては、それが醍醐味でもあると思うけど、でも他人に侵害されたくない気持ちも勿論ある。

 

他人になんと言われようが、あの時あの瞬間、私は確かに嬉しかったんだぞー!嫌だったんだぞー!と。とっておきたい言葉や気持ちが、たまに、あったりする。

 

 

わたしは自分の「ぶれない軸」みたいなのを持っていない。こんなに誇らしく言うことじゃないんだけど、本当に無い。

他人からなにか言われると、自分の信じてきたことは簡単に揺らぐし、「これだけは譲れない!」みたいな絶対的なものもない。

 

だからこそ、ブログには「他人から揺るがされないためのシェルター」的な役目を果たしてもらいたかった。

 

誰にも侵されない、秘密基地。気持ちの逃げ場でもあるし、大切にしたい言葉や想いをとっておいて、保管しておく場所でもある。

 

 

そんな感じで、ブログはもやもやした思いとか、嬉しかったこととか、ちょっとしたことを書き溜めている大切な場所でもあります。

 

だから、なるべく心のままの、心に近い言葉で。感じたことを正直に書く。それだけは守って書いていきたいなぁ。嘘は書きたくない。

 

 

このブログで誰かを救いたいなんてことは1mmも思ってない(し、救えるとも思ってない)けど、同じような悩みを持って生きてきた人とはいつか話してみたいなあとかは思ってます。

だから、これからも細々、こじんまりと書き続けていきたいな。どこかのだれかとの、縁に繋がるように。自分の揺るがない気持ちを忘れない為に。

  

 

 

あと話は変わって、

ブログタイトル……の意味。

 

好きな言葉の1つです。「在処離れ(あくがれ)」

 

なにかの本(すみません忘れました)に出てきて、惹かれた言葉。

いまの「あこがれ(憧れ)」の語源だそう。

 

在処離れ。在る処を離れる。

自分の魂がいま在る処をなにかに誘われ離れていく、という意味らしいです。そこから今の「憧れ」の意味になっていったとか。

 

ブログを書き始めた当初は、自分じゃない誰かになりたくて、このタイトルをつけました。

自分の魂が自分じゃないところにいけばいいのに、って思って。

自分じゃない誰かにずっとあこがれて。

 

でも、今はなんというか、自分がいいや、と思います。自分がいいけれど、もっと素敵な自分になりたい。

 

魂がなにかに誘われ、自分から離れていくのだとしたら、もっと好きな自分へ、より良い自分へ、なれる場所に向かっていってほしい。

 

 

そんなふうに考えられるようになったのも、成長なのかな。大人になったのかな。なんて。

  

 

 

と、そんなこんなで、今回はブログを書いてよかったこと、ブログを書く理由について考えてみました。

 

文章描きたい欲、充たれました。笑