在処離れ

やさしく、あったかく生きていきたいです。

こんな自分で生きる

 

 

こんばんは。

 

なんかね、当たり前のように「あれ、死にたいな……」って思う日々があったんです、ちょっと前まで。絶対絶対、死なないんだけど。こんなままでは死ねないし。

 

死にたいという言葉でその後の思考を放棄してるだけであって、本当は死にたいわけじゃないのは自分でも分かってます。

 

私はたぶん生きるのがへたです。もっとのらりくらりと、上手に、器用に、笑って生きていたい。

自分の言葉や態度に毎度後悔して、人の顔色を伺いながら生きるのがしんどい。そんな自分の世渡り下手さを、「死にたい」という言葉で隠して嘆いているだけです。全然死にたくない。もっとうまく生きたい。

 

で、当たり前のように「ああ……今日もまたやっちゃった……しっ、死にたい……」と思いながら、「いや待てよ、結局生きるし……」って思うようになった。

 

死にたい、というより、ふっと、このままいなくなりたいなあとかは本気で思ったりしました。誰にも迷惑かけずに、誰の記憶にも残らずに、存在ごと消えたい。みたいな。

けど、まあ、当たり前だけど存在ごと消えることは無理で。死ぬことはやろうと思えばできるんだろうけど、絶対に自分から死ぬことはしたくない。私が今死んだらまず必ず親が悲しむし。

 

親が死んだら、私はどうなるんだろうか。

「何歳まで生きたい?」という、軽い友人同士の会話ではいつも「親が死んだらいつでもいい」と言ってます。これは、まあまあ本音なのだけれど、親が死ぬ前に、私が「これを置いては死ねない!」ってモノが出来てるかもしれないわけだから、確実ではないなあ。

 

そう考えてると、死にたくっても結局生きるんだよなあと思うようになった。

もう、「こんな自分嫌だ、死にたい」と悩むのが時間の無駄で、「こんな自分を抱えてどうやって生きていこうか」と思った方が建設的だなとおもったのです。

 

そりゃあ「友達と上手く付き合えない自分」とか「素直になれない自分」とか、そういう嫌いな自分のせいで上手くいかないこと、たくさんあります。消えたいなとその余韻で思うこともある。

 

なんかこう、嫌いな人とこの先も付き合っていかないとならない状況だったり。他人に嫌な気持ちを持ったり。持たれたり。上手く笑えなくて泣いたり。「あ~……私何言ってんだろ」って死ぬほど後悔したり。

そんな自分が嫌で仕方なくって、でもどうすればいいかわからない。

 

でも、「あ、私どうせこのまま生きていくしかないんだよなあ」と思ったら、ちょっと楽。

だって、どうやったって面白くないことは面白くはならない。上手く話せない友達とは楽しく話せない。

わたしがどうあろうと悪口を言ってくる人は必ずどこかにいるわけで。私は私を、もうこれ以上変えられない。頑張りたくない。つかれた。

 

 

 

めちゃくちゃ例えばですが。

あなたに、もし過去をやり直せる機能が備わったとして。 自分の頭上に、「この分岐点まで戻りますか?」みたいな表示が出て、やり直したい過去まで戻ることができるとして。

あなたは過去の自分と違う選択ができますか?できる自信はありますか?

 

もしやり直したいほど後悔した過去に戻れたとしても。わたしは、結局前と同じ選択しかできない気がしています。だって過去も今も「私」という人間だから。

毎回毎回、何かの度に後悔はしてるし、自己嫌悪もするけど、私は多分その選択しかできない。

 

わたしは、常にその状況で最善の選択をしていると思っています。

だから後悔はしても、やり直したい、とかはあんまり思いません。もちろんたまに「お願いだから時よ戻って……」と思うことはあるけど、すぐに「いや、あの時の私はこれしか出来なかった、仕方がない」と自分を納得させられます。

 

その時々で自分なりに最善を尽くした結果が最悪だったとしても、それがわたしなんだなあと。あの時よくがんばったなあ、とおもう。

 

 

あれ、なんの話だっけ。笑

閑話休題

 

えっと、だから、自分なんて嫌いで直したいところばっかりだし、まだ好きにはなれないけど、でも、「死にたい」と考えるよりは、「こんな自分でどうやって生きてこう」と悩んだ方が、まだマシかな。と思ったという話です。

 

最初にも、ちらっと書いたけど、わたし的に「死にたい」と思うことはとても楽なことで、思考放棄と同義だから。

結局、何も解決はしないし、絶対死なないしで本当時間の無駄。(あくまで私の場合は、です)

 

 

どうやって、嫌いな人と付き合っていこう。

どうやって、楽しく友達と話をしよう。

多分失敗するし、自己嫌悪するし、でも、これが自分なんだよなあ。この嫌いな自分とどうやって生きていこうかな。

 

まずは、嫌いな人に怒らなかった自分を褒めようかな。

上手く友達と話せなかったけど、その場にい続けたことはすごい。逃げなかったこともすごい、えらいなあ。

上手く笑えなかったけど、もっと上手く笑いたかったけど、でも、上手く笑えない自分にしては、頑張って笑う努力をしたんじゃない?

 

不器用ながらに生きてる私、やるなあ。

不器用ながらに生きてるあなたも、すごいです。

 

 

死にたいと思うほど嫌いな自分と、まずは向かい合うところから始めたいな。

向かい合って、しっかり目を見て。そしたら、嫌いな自分を消すんじゃなくて、抱えて一緒に生きていきたいなあ。

 

嫌いな自分を変えようともがく努力はもちろん素敵だし、時には必要だけど。でも「変えたい、変われない」と泣くよりは、「一緒にどうやって生きようか?」と少しづつ考える方が私には合ってるなあと思った話でした。