在処離れ

やさしく、あったかく生きていきたいです。

はっきりしないのは優しさではない

こんばんは。

超久々のブログ更新です。

 

更新をわすれてたわけじゃないけど……

書く気力がわかなくて笑

 

でもこの1年ほどで新しい出会いもあり。

別れもあり。思うこともあり。

久々に書こうかなという気になったので書いてます。お付き合い下さい。

 

最近、思ったことはきちんと言わなきゃなあって思うようになりました。文字にすると当たり前のことなんだけど。意外と難しくて。

 

私はもともと自分の意見を我慢することは苦ではないです。

 

誰かとぶつかる方がよっぽど怖い。

 

自分の意見を誰かに否定される方が嫌だ。

そんな考えの持ち主でした。

 

 

例えば私はカルボナーラが嫌いなんですけど(笑)。

友達2人とご飯食べに行ったりして、私はミートソースパスタが食べたいけど、友達2人はカルボナーラが食べたいと言ったとして。友達から「〇〇もカルボナーラにしようよ」と言われたらカルボナーラにします。

そういうことをあまり苦に感じないタイプでした。そりゃあ「ミートソース食べたかったなあ」ってモヤモヤはするけど。

友達に「こいつノリ悪……」って思われるよりはマシかなあって、考えるタイプでした。

 

こういうの、「服従」タイプの解決方法らしいです。

心理学の世界で、葛藤解決(もめごと解決)研究では、葛藤解決の方法が4パターンあるらしいです。葛藤解決っていうのは、お互い違う意見になったり、揉め事が起こった時にどうやってそれを解決していくかの方法のこと。

 

1つは服従

さっきの私のような、自分の意見を「譲歩」する形の解決方法。

 

2つめは回避。

もうそもそも葛藤を避けちゃうようなパターン。パスタを友達と食べに行かない!っていうやつ。

 

3つめは支配。

「私がミートソースパスタ食べたいって言ってるんだからミートソースパスタにしろ」っていう解決方法。

 

最後が統合。

「私はミートソースパスタが食べたい。でもあなたはカルボナーラが食べたいんだね。お互い後腐れなく、嫌な気持ちすることなく、お互いが納得してパスタを食べられるようにするにはどうしようか。」って話し合う方法。

「今回はカルボナーラ食べよう。その代わり、次ご飯行く時はミートソースパスタにしようね」っていう解決方法は、「統合」かもしれない。お互いが納得しているなら。

(そもそもみんな好きなパスタ食べなよ、っていうツッコミはなしで笑。何か一つに決めなきゃいけない状況だと仮定してます。笑)

 

心理学の世界では、4つめの「統合」の解決方略をよく行う者は、精神的健康が高いらしいです。

そりゃあ、お互い納得して解決してるからそうだよなあと思う。そして、それは「お互い納得して話し合おうよ」と言えるスキルを身につけているという事だもん。納得。

 

お互いが納得して答えを導けたら、どっちも気持ちいいかもしれない。

でもわたしは、「私が少し我慢すれば相手の願いを100%聞いてあげられる」と思う。そしてそれは全く苦しいことではないんです。

私にとって、相手が喜んでくれることが一番価値のあることだったから。

 

でも、最近。ちょっと考えが変わってきました。「私カルボナーラ嫌いだから、ミートソースパスタが食べたいなあ」と言う努力をするようになりました。

 

それは、私が我慢してストレス溜めちゃってむしゃくしゃしちゃったから…っていうことではないです。

 

私が自分の意見を我慢することは、私と他者の関係を良好にすることとイコールではないと知ったから。

 

さっきも書いたように前までは、私が我慢することで他人が喜んでくれるならそれでいいじゃん!と思ってました。それは私が嫌われたくなかったからで、私の発言で相手を傷つけたくなかったからで(傷つけずに断る方法がわからなかった)、そして相手の意見を通してあげることで私は好かれるのではないかと思ってたから。

 

だって我慢して「あげてる」んだもん。

相手の意見を受け入れて「あげてる」んだもん。嫌われるわけないじゃん。と思ってた。

 

 

……しかあし!

それはちょっと違うかも、と最近思ってきました。

多分、この解決方法(葛藤解決でいう「服従」)は、嫌われはしないけど、好かれもしない。

 

相手は「あ、意見通った。ハッピー」くらいしか思ってないです。むしろ「なんでこの人自分の意見言わないんだろう。遠慮してんのかな」と思われてます。きっと。相手も「本当の事言ってくれてないな」とどこかで感じてます。そうなると、仲良くなれるわけがない。

 

本当に仲良くなるためには、本当に思ってることを言って、対等にお話をするべきだと気づきました。

本音を話して嫌われるくらいなら、そんな人と仲良くする必要が無いことも知りました。

 

本当に大切な人なら、もしすれ違ったとしても最後には分かり合えることも覚えました。本当に大事な友達なら、怖くても、何回でも何回でも話し合って、分かり合うことができるのだと思います。

 

今でもちょっと怖いけど、やっぱり。

自分の気持ちを話すのは怖いことだけど。相手が何思ってるかなんて全くわからないし。でも相手に好かれようと自分を合わせる必要ないよなあって。自分と他人は同じわけないんだし。

 

自分の意見を言わなかったり、相手のことを断ったりしないのは、優しさでもなんでもないと覚えました。自分が傷つきたくなくて守ってるだけだなって思います。そもそも意見を否定されるのが嫌って時点でそうなんですよね。意見を否定されても自分を否定されてる訳では無いんだし。そう頭ではわかってても、認知を修正するのは大変だけど……

 

私だってこんな偉そうなこと書きながら、今大学で1番仲いい(と思ってる)友達にも、やっと最近本当に思うことを言えるようになったくらいです。でも、やっぱり、その分少しずつ、少しずつ、分かり合えている気がするなあ。

 

逆に、本音を言わなかった友達は、やっぱり遠ざかっている気がする。というか私が遠ざけてる気もする。本音を言わない後ろめたさもあるかな。なんだかちょっと居心地が悪い。

 

うん、だから、色々な人に少しずつ本当のこと話していきたいなあと思っています。

まだ自分の100パーを話したことは無いけど。でもいつか、絶対失いたくない大事な人が出来た時、話すことを躊躇ってしまわないように。

 

大事な人に、大事なことをきちんと私の口から話せるように。今から練習していきたいです。