在処離れ

やさしく、あったかく生きていきたいです。

やっと自分を認められるようになった

 

 

 

こんにちは。


最近やっと自分を好きになりたいと思えるようになりました。そのために、自分で自分を褒めてみたり、「よく頑張った」と認めてみたりして。

前までは、自分で自分を褒めるなんて考えられなかったことです。えらいぞ、わたし。

 


多分自分が嫌いすぎてしょうがない人って、1回くらいはGoogleで「自分 好きになりたい」とか検索してると思うんだけど(これ前も言ったな)。笑

大抵「ご自分を認めてあげてください」って書いてあるんです。「小さいことでも褒めてあげてください」とか。だから、自分を好きになるにはまず自分を認めることが必要なんだと思います。

 

でも前までは、そんなこと出来なかった。自分なんて褒めるところがないと思ってたから。

嫌いで嫌いで仕方ない自分に、褒めてつかわす所なんてひとつもなくて、ただただ自己嫌悪。

それと同時に、「わたしは幸せになっていいのか?」「わたしはわたしを認めていいのか?」という不安もありました。


「幸せになりたい」って願うのは、当たり前のことだし、たぶんみんな心の奥底ではそう願っているんだろうけど、私はそう思えない時期があって。

1年ほど前の記事の、

これでも、同じようなこと書いたんだけれど、昔のわたしには、「自分で自分を褒めたらダメ」みたいな自分ルールがありました。


なんで自分を褒めちゃダメ、なんてドSルールがあったのか。それは、自分じゃなくて、他人に認められたかったからです。

わたしは、「自分を肯定できるのは、自分が認めた人に認められた時だけだ」と知っていた。

だから、認めてない自分にじゃなくて、だれでもいいから、私が認めていた他者に褒めて欲しかったんです。

 

自分は自分のことを嫌いなままでいいから、他の人から「すごいね」「えらいね」「がんばってるね」って言われたかった。

もし自分で自分に満足しちゃったら、誰かからの「すごいね」が私にとって意味をなさなくなるような、そんな気がして、私は「自分が嫌いな、かわいそうな人」をわざわざ演じていたのかもしれないです。

「自分を嫌い」って思っていれば、誰かが「なんでそんな自分のこと嫌いなの?こんなにいいところあるのに」と言ってくれる気がしていた。自分で認められない長所を、他人が認めてくれる気がしていた。


だから、自分を好きになることが怖かった。自分で自分を満たしてしまえば、他人から求められることを必要としなくなると思ったから。

そんな歪みまくった承認欲求を拗らせ続け(泣)、自分を認めることを避け続けていました。

 

 

でも、正直ずっと満たされることは無かったです。むしろ悲しくなったりつらくなる方が多かった。

 

何かを頑張った時には誰かが「すごいね」と褒めてくれるけど、それは一時的なもの。最初は「頑張ってよかったあ!」と嬉しくなるけど、麻薬みたいにすぐ効果は切れて、足りなくなる。

しかも、褒められる嬉しさよりも、ずっと「なんでこんなに辛いのに誰も認めてくれないんだ」という気持ちの時間の方が長かった。他人に認めて欲しいのに、他人に「認めて」と伝える度胸をもちあわせていない私は、ひたすら何もしないで認められることを待ち続け、認められるわけがなく、その度に勝手に傷ついて、悲しくなっていました。

 


でもね、最近は他人で自分を満たすんじゃなくて、自分で自分を満たそうと頑張っています。

それは、他人はわたしをずっと認めてくれていたんだということに(やっと)気がついたから。

認めるっていうか、なんだろう、ずっと受け入れてくれてたんだなって。

怖がりで、臆病な私が、勝手に受け入れられてないと思い込んでいただけなんだなあって。私は「認めてくれない」と100%被害者ぶってたけど、実は、自分の勝手なイメージで、自分も他者も傷つけていたのかもしれない。

そもそも、よく考えたら、1度もみんなに「嫌い」なんて言われたことない。「あんたなんか認めてない」と言われたことがない。いつも「頑張っててすごいね」「○○(私)といると楽しい」って言ってくれてる。わたしがその言葉を受け入れてこなかっただけで、ちゃんと沢山認めてもらってるよ、わたし。

 

ここに気がつくのにすごい時間がかかった。し、シンプルに気づくまでがつらすぎた。

しかもなんで気づけたのか未だによくわかってない。

最近、卒業式とか、追いコンとか、そういう「別れ」のイベントがすごく多くて、素直に「今までありがとう」って感謝を沢山皆に言えたからかも。

そうしたら、逆に感謝されたりして。「わたし、皆のこと大好きだったんだなあ」っていう私から皆への愛と、「皆、私の事好きでいてくれていたんだなあ」っていう皆からの愛に気づけたのかもしれない。

 

まあ、そんなこともあって、もう、他人に受け入れられたい、認められたい、と思うのはやめたいなあと思ってます。受け入れられてることをすこし気づけたから。

 

逆に今は受け入れてくれてありがとう、の気持ちです。優しくしてくれてありがとう。仲良くしてくれてありがとう。愛してくれてありがとう。

 

 

そして、最初に言ったように、最近は他人じゃなくって、自分で自分を認めることを積極的にがんばろうとしています。

 

もう、認められなくても認めちゃう。

認められるとこなくても認めちゃう。

認められるところだけを認めるんじゃなくて、「いまの」自分を認めようと思って。

 

最初に書いた「自分なんて認めるところがないと思ってた」というのは、「自分のいいところしか認めたくない」からだと思います。でも本当に幸せになるには、「今の自分」を認める必要があるんだと思います。

 


私は、頭は悪いし、アホだし、怒られるとすぐ泣くし、つまんない人間だけど。でも、まあ、とりあえずはこんな自分でもいいかなあ。だって頑張ってるし。

うん。きっとこれで十分なんだろう。十分ってことにしよう。そう思えるのは、大好きな人達がいるからで、私が頑張ってきたからだ、きっと。

 

生きづらいとか上手くいかないとか色々悩んだり泣いたりするけど、もうそれでいいことにしよう。どうせなんとかなるし、愛されてるよ。大丈夫。

 


けど、多分、今、心に余裕があるからこう思えてる。笑

切羽詰まってくると「自己嫌悪ループ」に陥るんだろなあ、笑


でも、上手くいかなくても、それでも私は頑張ってるはず!えらいはず!

えらいよ!辛くなってこの記事見返してるわたし~!えらいよ!毎日がんばってるよ!

大丈夫、大丈夫……(大丈夫を沢山言う時は大抵めっちゃ不安なとき)

 

 

もうね、新生活が不安すぎて、将来の病んでる私のためのブログを書きまくる日々。笑

でも、心が健康な今、こう思ってることは本当。


大丈夫、きっとこの先もすでに幸せだ。そういうことにしよ。がんばってるよ。

 

 

 

 

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追記。

ついでに、読もう読もうと思って読めてない本があるんですけど、めちゃくちゃ今日の話にリンクしてそうなので貼ってみます。リンクしてるかは読んでないからわからないけど。笑

はやく読みたい。

読んだことある方いたらご感想ください!ききたいです。笑

人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書)

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