在処離れ

やさしく、あったかく生きていきたいです。

本当のやさしさってなんだろう

 

やさしい人になりたい

 

わたしの中にずっとある、目標であり、理想。

 

 

中学・高校・大学・大学院。

今までの人生、ずっとやさしい人たちのおかげで頑張ってこれたから。

本当、びっくりするくらい、たくさんのやさしい人たちに囲まれ、恵まれてきたと思う。

 

わたしもそうなりたい。他人にやさしくあたたかい人で在りたい。

 

 

だけど、やさしくなるのって本当難しい。

そもそも真に「ひとにやさしくなる」って今から可能なんだろうか、そんなことを考えた。

 

わたしの周り、みんなやさしい人たち。

どうしてそんなにやさしいんだろう、といつも思う。

 

わたしがやさしさのつもりで言った言葉が、した行為が、結局自分のことしか考えてないやさしさだった、ってこと往々にしてある。

私がやさしさだと思ってしたことは、本当に相手が望んでいたことじゃないし、相手が喜ぶことでもなかった。

自分が満たされるための独りよがりのやさしさ。わたしはそんなやさしさしか持ってない。だから、いつも間違う。

 

 

 

人から「やさしい」と言われることが多い。

やさしい、と言われること自体は嬉しいし、自分でも「やさしい」と他人から言われる振る舞いをしていると思う。

 

ひとにやさしいと思ってもらいたいから、ひとにやさしくしている。

やさしさに対して、たぶん、何かしらの見返りを求めている。

 

とにかく、私は自分のことにしか興味がない。

自分が人からどう思われているのかとか、どうしたら自分がやさしいとみられるのかとか。

ひとのことより、自分のことばかりにしか関心がないから、人の気持ちを理解することも汲み取ることも、到底たどりつけなくて、「やさしい人」からどんどんかけ離れていく。

 

 

だから、人から「やさしいね」と言われると、もやもやしてわけのわからん罪悪感に襲われる。うれしいんだけど。やさしいと言ってもらってありがたいんだけど。でもなんかちがう。求めてる言葉じゃないような感じ。自分勝手だなぁ。笑

 

「やさしくないのに」と思う。「ごめん」という感情でいっぱいになる。だって、私は結局ヒトのことなんて全然考えてなくて、自分のための行動しか取ってない。

 

 

 

 べつにやさしい人になりたいわけじゃない。

いや、やさしい人になりたいんだけど。うーん…

人にやさしいと思われたいわけじゃない、というか。

 

 

やさしいと思われたくてやさしいふるまいをしているけど、やさしいと思われたいと思うのをまずやめて、本当に人のことを考えられるようになりたい。そんな感じ。

 

やさしさに見返りを求めている自分に心底うんざりしている。

自分が他人にどう思われているか、そんなことばっかり考えている自分が気持ち悪くてしょうがない。

 

 

大事な人に、迷いなく大事な言葉を伝えたい。真摯に向き合いたい。

でも、口を開くたび、「よく見られたい」自分が邪魔をしている。

いつも自分のことばっかりに支配されて、結局言葉にできなかったり。伝わらなかったり。

 

どうしたらいいんだろう。

本当にやさしい人になるにはどこからどう努力していけばいいんだろう。

わたしはたぶん「やさしい人」は向いていない。

でも「やさしい人」に憧れている。

 

 

というか、「やさしい人」ってどんな人?

 

  • 他人のことを思いやれる人。他人の気持ちになって考えられる人。
  • 「無償の愛」を持っている人。
  • 他人の幸せを喜び、他人の悲しみを悲しめる人。

 

ぱっと思いつくのはこれくらいかな?

 

 

他人の気持ちになって考える…これができたら苦労してないよね…

ひとの話を聞いている最中も、ついやさしくない自分が顔を出しちゃって。

「なんで?」って聞きたくなる。「そんなの〇〇でしょ」とアドバイスしたくなる。

でも、本当、人の気持ちなんて複雑なもので、人それぞれ。

発したことばの背景に何があるのかなんてわかりようがなくて。

だからこそ寄り添いたいなぁ。わかりたい。教えてほしい。

うん、その努力をしよう。「ちゃんと聞く」ということを怠らないようにしよう。

 

 

「無償の愛」、見返りを求めない愛をあげられる人。

自分になにもプラスになることがなくても、心から、相手にしてあげたいと思うこと、言ったほうがなと思うこと。そんなことは恐れずにやれたり言えたりする人になりたい。

 

言い方の問題はあるけど。相手のためだなと思って言った言葉でも、攻撃的な言葉遣いじゃ、相手にとって「敵」になってしまうかもしれないから。

なるべく味方だよって伝えながら。正しい言葉で、正しく伝わるように。

でも、それも結局自分が嫌われたくないとか。そういうのが邪魔していつも言いたいこと言えないんだよね。思ってるけど、言えない。

 

そう考えると、本当にやさしいひとって孤独を恐れていない人なのかもしれない。

ちょっと違うか。もし孤独になったとしても、自分と周りの人たちを信じる強さがあるのかも。

 

 

他人の幸せを喜ぶこと。これも難しいんだよなぁ…!

嫉妬がね。でてきちゃうのよ、つい。

自分にないものを持っている人って、うらやましくて。キラキラしていて。

ちょっと前まで、あの子は自分と隣にいたのに。なんかいつの間にか、一足抜けて違うところに行っている、それを素直に喜べない。

 

隣の芝生って、本当ずっと青いし。

なんかいつみても青い。笑

 

でも、隣のきれいな青い芝生を持つ子が人より何倍もお世話して、水あげて、草刈りして。そういう風に育ててきた芝生だってこと、私はわかってるはずなんだよね。見てきているはず。

それなのについ、いじわる言ったりしちゃって。「あなたの芝生綺麗だけど、あそこだけなんか枯れてない?」とか粗探ししちゃったりして。 

 

素直に「きれいな芝生だね、いいなぁ。」って言ってあげられる人になりたい。

わたしはきれいだねって、言ってもらってきているのになぁ。どうして言えないんだろう。どうして他人の芝生を見れないんだろう。

 

まずは自分の芝生をきれいにする努力をしなくちゃだめなのかな。

でも、自分の芝生を綺麗にする努力をすればするほど、他人の芝生を認められない気がする。

 

絶対届かない完璧な芝生って、逆に手放しで認められるけど(小松菜奈がかわいいとかって、私が僻んでもしょうがないのと同じように)、一緒に切磋琢磨してきた人こそ、認めるのは難しい気がする。「私だってこんなに毎日丁寧に水あげたのに」って。「なんであの子の芝生だけ褒められてるの」って。

 

 

自分の芝生がきれいじゃなくても、他人の芝生を褒められる人っているよね。なんだろう、あれ。すごい。

 

 

 

うーん。

 

 

書きながら、なんか違和感。笑

 

「やさしい人になりたい」って沢山書いたけど、そんなこと書いてる時点でやさしい人にはなれない気がしてきた。笑

 

 

だって、本当にやさしい人って、別に「やさしくしよう」と思ってやさしくしているわけじゃないわけで。

 

自分の欠けている「やさしさ」の埋め合わせに他人を利用している段階で、もう「やさしい人」とは真逆の方向を向いている気がする。

 

 

なんか、もっとシンプルに、大切な人が感じていることと同じことを感じたい。分かりたい。それが私のずっと言っている「やさしさ」の原点な気がしてきた。

 

同じ「1」でも、「1分の1」じゃなくて「2分の2」にしたい、そんな感じ。難しいね。

 

「2分の2」にしたくて、一緒に喜びたいのに、悲しみたいのに、そこに自分の嫉妬とか、嫌な感情とか、そういうのが邪魔をしている感じ。それがつらい。

 

でもそういう感情まで無くすのは絶対に無理なんだよなぁ。私もいち人間だし。

 

そういう嫌な感情を持っていても、他人の気持ちを分かろうともがいていたら、それを分かち合ってもらうことってできるかな。

 

 

「やさしい人」になりたいっていうより、大切な人の喜怒哀楽を一緒に感じあい、一緒に喜び、悲しめる人になりたい、のかもしれない。

 

 

 

 

2月の目標

 

 

1月も終わり、2月になった。

 

M2になると、この時期就活なので、M1の2月3月は学生生活(たぶん)最後のはるやすみになる!

てことで!

もう既に1週間くらいぼーっと生きてるんですが!目標を立てようと思います。具体的に。

 

そうして、計画的に過ごしたいなあと(笑)

 

① 月に4冊(なるべく学術的な)本を読む。

 

本当は週2くらいで読みたいと思っていたけど。出来ないことを目標設定しても萎えるだけな気がして。

現実的な感じににした。笑

 

学校が始まるとなかなか本とか読めない。時間はあるけど、本読むくらいなら寝てたいってなってしまう。

本って、結構「よし、読むぞ」って気合い入れないと読めない。気軽に「読むか~」って感じでは無理。とくに学術書は。

 

時間もあることだし。

足りない知識を少しづつ埋めていきたい。

読んでない本はめちゃくちゃ溜まってるからなあ……(積ん読ってやつ)

 

ブログにも感想書きたいなー。アウトプットということで。がんばろ。

 

 

 

 

②  公認心理師臨床心理士の勉強を始める……(1日10分でもやる)

 

気が重い。重すぎる。

重すぎて1日10分っていう、高校受験1年前みたいな(偏見)生ぬるい設定にしてしまった。

 

第一回目(2年前?)の公認心理師試験の合格率が60パーセントくらいだったらしく。ヤバいぞ、と焦っている。 

 

公認心理師試験(国家資格)も、臨床心理士試験(民間資格)も、どちらも大学院卒業後に試験を受けることになるんですが。

私は単純に頭が悪すぎるので、人より早めに勉強しておきたい…

そろそろ始めるぞぉ……うう……

まず参考書……買いに行かなきゃ……(そこから?)

 

 

 

 

③  3日に1回は何かしら作る

 

料理ができない。

でも、ご飯とかお菓子とか作ってみようかな~~~~~!!!!!!!!

来たるべき、お嫁さんになる日のためにっ(魂の叫び)

 

ほんと、味噌汁作るとか、魚焼くとか。

できるの、それくらい。笑

 

でもでもっ!肉じゃがとか、エビチリとか、ケーキとか、タルトとか、凝ったもの作ってみたいじゃない!!!!!!

 

てことで、頑張って何かしら作るぞ。

作ったものはTwitterやらにあげて、やった感出すぞ。よし。

 

 

 

 

修論何とかする

 

なんとかします(できない)

形にしたい。いや、します。真面目に取り組みます。はい。

 

 

 

⑤ 筋トレする

 

あのね、1ヶ月ほど前にリングフィットアドベンチャーという筋トレゲームを買ったんだけど

 

これが!

めちゃくちゃ!

楽しい!

効いてる!

 

リングフィットアドベンチャー、筋トレしながら敵を倒すゲームなんだけど、正しいフォームでやらないと、敵を倒せない。笑

意外とジャッジが厳しくて、さぼると「ちゃんと(体制を)キープして」と怒られます。

途中でやめたくなっても、敵倒すまではやめられない。から、続けちゃう。

1人でやってると、キツくなるとすぐやめれちゃうけど、リングフィットアドベンチャーのおかげで踏ん張れてる。

 

本当、筋肉つけたい全人類にオススメしたい。

正確に言うと、私はダイエット目的で買っていて、筋肉つけたくてやってる訳じゃないので、筋肉がついているかどうかは正直わからない。

 

けど、はじめてから1ヶ月で2kgほど痩せました。特に食事制限はしてないのに。

母親にも、「背中の肉が無くなっている」と驚かれた。

背中は自分じゃ見えないからよくわからないけど、おなかの肉が明らかになくなったのはわかりました。

ズボンが緩い。足の隙間も心做しか広くなった気がする。

 

続けていきます。筋トレ。

 

 

これくらいかなあー

 

 

 

2月、頑張ろうね。今年は閏年らしいよ!

 

 

 

素直でいること

最近、「素直でいること」を心がけている。

 

子どもの頃は、割と素直に生きてきたと思う。

「かわいい」「かっこいい」「すごい」「うらやましい」「だいすき」って、口に出して生きてきた。

 

母親にも「素直が1番」と言われて育ったし、周りにも「素直だね~」と言われて。(褒め言葉なのか?嫌味なのか?)

なるべく「相手が言ってもらって嬉しいだろうな」ということ、「もし自分が言われたら嬉しいだろうな」ということは、躊躇わず言うようにしてきました。

 

でも、年齢とともに「素直でいること」が、何故か出来なくなってきている。

自分のプライドが邪魔してるのか、空回りが怖いのか、他人に見られてるかもという恥ずかしさが邪魔してるのか、よくわからないけど。

 

 

 

大学生の時の話になるんだけど…

 

サークルにとってもかわいい先輩がいました。愛想も良くて、頭も良くて、みんなから好かれていた、とても素敵な先輩でした。皆がその先輩のこと好きなのはもちろん、私も例外なくその先輩のことを尊敬していて、すごく好きでした。

 

で、私は「先輩、先輩」と毎日ついてまわっていた。なにかイベントがあれば(クリスマスとかバレンタインとか)お菓子あげたりとかして。とにかく先輩に喜んで欲しくて。好きだったから。

 

そんなことをしてたら、ある日、同期(あまり仲良くなかったけど)から、「何気に入られようとしてんの?」って面と向かって言われたことがあって。

 

めちゃくちゃ動揺した。

まあ、他人から見たら金魚のフン的なやつに見えて、ウザかったんだと思う。ちょこちょことついてまわって、なんだコイツみたいに思われても、まあ仕方が無い。

 

でも、なんかそれから、先輩の近くに寄るのも怖くなってしまい。「だいすきです」なんて言おうものなら、どっかでだれかに見られてるんじゃないか、知られたら殺されるんじゃないかと思って急に怖くなって。

そんな事考えてたら、もしかしてその先輩も迷惑だったんじゃないかと思えてきて。

 

「あれ、わたし先輩が好きなんじゃなくて、気に入られようとしてたのか?」と自分の行動の真意もわからなくなった。気に入られようとしてたのかな。それもあるとは思うけど。

「好き」「尊敬している」「ありがとう」

そういう、私がもらって嬉しい言葉は、相手も喜んでくれると信じて疑わなかった。

 

実際、その先輩は喜んでくれていたと思う。でも、それを見ている周りの人の気持ちとか、そういうのを私は全く考えてなかった。

 

で、ずっと後をついてまわってたのも、やめてしまった。なるべく私からは近寄らないようにして。そのままだんだん疎遠になって。

 

 

そういう出来事があったりして。もちろんそれだけじゃなくて、年齢とともに恥ずかしさも増してきて。自分の行動が他者からどう見られてるのか気にするようになって、なんか年々素直じゃなくなってきた。

 

「いい」とおもったことを「いい」と言えなくなって。

すきなひとに「すき」と言えなくなって。

「ありがとう」をなかなか言えなくなった。

 

思ってはいるけど、言うのを躊躇って。

タイミングを逃して、そのまま忘れて。

 

ひとこと、たったひとこと言えるだけで何かが変わるかもしれないのに。最近は、その機会を失い続けている。

あとから「やっぱり言えばよかった」なんて思っても遅い。そんなことが増えている。

 

 

そういう後悔や反省が増えて、素直になろうと思い直した。

 

そして、たまたま最近すごく素直な人と出会って。

 

その人と一緒にいるたびに、「すごく素直だなあ」って思うし、言ってもらった言葉に「嬉しいなあ」と思う。

その言葉が本当か建前なのかはわからないけど、言ってくれた勇気と優しさに嬉しくなる。

 

多分素直なその人の目には、他人なんてうつってなくて。

思ったことを思ったように。言いたいことを言いたいようにして伝えて。

 

羨ましいなあって思いました。自分に正直で、素敵な人だなあと。私もそうなりたいと思った。

 

赤の他人からどう思われようと、「嘘っぽい」と思われようと、本人に届けばいいんだよね。

 

言われた人が、素直な言葉をバカにするような人なら、その人にはもう一生言ってやるもんかと思えばいいし。

私は素直な言葉を言ってもらえる人になりたいし、言える人になりたいので、素直に言葉に出す努力をしていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学院に入って

 

 

M1を終えて、M2になろうとしている。

今でも、大学院に進んで良かったとか悪かったとかまだあんまりわかってない。

心理学楽しいなあと思うこともあれば、就職すりゃあよかったなと思うこともある。

 

 

大学院に行こう、と決めた大学4年の春から、大学院ってどんなところだろうとずっと思いを馳せていた。

私のなりたい職業は大学院に行かなきゃ、なれなくて。それで(仕方なく‼️‼️‼️)大学院に進みました。

 

大学院に進む前は、大学院って自分と向き合う場所なんじゃないかとぼんやり思っていた。

 

だけど、入った今思うのは、自分がわからなくなる場所、がいちばん近い気がする。自分と向き合うからこそ、分からなくなるのかもしれない。

 

大学院、というか心理の世界は、正解がない問いにずっと向き合い続けなきゃいけないところだ。自分の未来について、真剣に悩んでいる人間と、一緒に深く悩んでいかなければならない。

簡単のようで、とても難しい。わかったふりをすることは簡単だけれど、他人の本当の悩みを真に理解することは多分一生無理。

 

それでも、ちょっとでも分かるようになるために、一緒に悩んでいけるように、日々練習するのだけれど……

 

心理の世界って、本当にしんどい。自分の不甲斐なさや未熟さを眼前に突きつけられる感じ。自分の弱さとか足りなさとか感受性のなさを痛感して。苦しくて。

 

教授も、「正解なんてないから」というのに、「それはダメでしょ」と言う。

なぜダメなのかもわからない。何がダメなのかもわからない。

ただ、ダメなんだということだけ学習して、「変なこと言わないように」「ダメと言われないように」としているうちに、自分が潰されていく感じがする。個性が無くなってゆく感じ。

 

それで、教授に、

「自分が何を考えていたのか分からなくなってきた。個性を出したら『ダメだ』と言われ、私じゃなくてもいい気がしてきた」と言うと、「個性を出さずにやってみたら?きっと上手くいかないから」と言われた。

「いや、上手くいかなくなってからじゃ遅いだろ」と思った。私がクライエントを練習台にして、それで上手くいかなかった、じゃあ遅い。

もっと「正解」が知りたかったのに、と思った。

 

心理は、正解を求める人、「正しくやりたい」という人には向かない道なんだなあとつくづく。

正解が分からない中、自分で物事を考えるのがこんなに難しいのかと、こんなに下手なのかと、こんなに伝わらないのかと虚しくなっている。

 

個性とはなんだと首を捻り、「していいこと」は分からぬまま、「してはいけないこと」を覚え、結局何したらいいやら、心理士とは何か明確に答えられぬままM2になっていく。

 

この世界は、本当に人間力が問われる。

多分、図太くないとやっていけない。図太くて、でも人の機微に敏感であるべきなのだと思う。それがとても難しい。

 

そしてM1の冬現在、心理士としてのアイデンティティが確立されぬまま、クライエントを担当している。

多分こういう「わからなさ」を一生持ち、突き詰めていく学問なんだと思う。でも相当つらい。

これを楽しいと思える人は向いているのかなあ。私は今のところ、楽しくはない。笑

でも何とか「こなして」いる。「こなす」という言葉は多分不適切なんだけど、でも「こなす」以外、合った言葉がない。

 

将来どうしようかな。どう生きていくのかも、まだよく分かっていない。決まらない。

 

心理系の道を目指す方が万が一でもこれを読んでいたら、沢山悩んでほしい。

就活嫌だとか、やりたいことがないとか、そういう気持ちで入るととても苦労すると思う。途中で大学院を辞めてく先輩を見てきたし、私の同期も1人、疲れ果ててしまって後期から学校に来なくなった。

 

覚悟があれば、大学院に入ってみて考えてもいいと思う。私もそうだったし……

大学院は、最後のチャンスだ。最後のモラトリアム。将来を沢山悩んで自分を見つめる時期。

 

 

 

それでいいのか?と常に自分に問いながら。

私も、生き方を自分自身に常に問う。

 

戒めを込めて書いた。

 

 

 

 

2020

 

 

新年あけましておめでとうございます。

久々更新。

 

2020年、今年M2になるということもあり、なんか色々勝負の年って感じな気がしている。

 

勉強や就職のことはちょっと置いといて、人間としての目標でも立てよう。

いきなりだけど。

 

 

 

  1. 自分を好きになる

 

いきなり難しそうだけど、意識していきたい……!

正確に言うと、好きになれるように努力したい。私は自己嫌悪とか自己憐憫とか好きで、上手くいかないことがあると「なんで私って・・・」「環境がこうだからしょうがない・・・」とかいつも思ってきた。そっちの方が楽だった。でも、結局そんなことしても自己嫌悪のループに陥るだけで、誰も幸せになれない。

 

自分が嫌いなので、自己嫌悪は割と落ち着く行為なんだけど、いい気分はしない。頑張ってる自分を好きになりたいなあと思っている。好きになれる自分になるために努力する年にしたいなあと。

誇れる自分でいたい。誰の前でも恥ずかしくない自分でいたい。笑顔で!たのしく!頑張るよー!

 

あと5月になったらバイクの免許をとるぞ。ピアノも再開しようかな……趣味増やしたい。笑

 

 

 

2.会ってない人と会う

 

ふたつめ。会ってない人に会う。

わたしは八方美人だけど、人の好みは激しい(と思う)。好きな人とだけずっと会ってたいし、苦手な人はずっと会いたくない。

でも、苦手な人、場所も、苦手なだけで嫌いではない。あれ、矛盾してる?笑

 

たとえば、大人数での飲み会がめちゃくちゃ苦手なんだけど上手く振る舞えないから苦手なだけで、みんなのことは好き。でも、上手く振る舞えないのが嫌なので、お誘いを断ることもあった。

 

けど、行ってみたいなあって思い始めてる。

みんなのこともっと好きになりたい。人との出会いを大切にしたい。22歳だし、大人だから。あんまりもう新しく誰かと出会うことって無いだろうし、今までの出会いを大切にしたい。こんな私と仲良くしてくれてるんだもんね。感謝……!

 

 

3. 自分に厳しく

 

2019年は自己受容をテーマにしてきてた。私なりに十分頑張っていたから。

でも、今年は「もう少し頑張れるんじゃない?」って意識でいきたい。笑

まあ、自分のやるべき最低限のラインはこなしてる自信はあるし、なるべくいい結果、いい方向になるように努力してきたけど、もう一歩頑張れたな、ってとこをいつも頑張れないんだよなー。

 

今年は自分に厳しくいきます!社会人になったら周りからも厳しくされるんだろうから、その練習として。自分を高める方向に。がんばろう。

 

 

休み休みでも、毎日ちょっとずつ成長していきたいよ。

誰にも恥ずかしくない自分になりたい。頑張ろう、2020。多分今年も嫌なこといっぱいあるけど、乗り越えてくぞ。できるよ、がんばれ、自分ー!

 

 

 

 

 

焦燥

 

久々の更新だー。

 

 

なんか、友達に対して、勝つとか負けるとか普通は考えないし、そうやって考えるのってどうかなあって自分でも思うんだけど。

 

でもこの子には何がどうなっても一生勝てないなと思う友人が2人いる。

 

そのうち1人とこの前サシで飲む機会があって飲みに行ったんだけれど。

 

まあ一生勝てないなと思った(結局)

私は私なりにどこかにいい所があるとは思う…んだけど。

 

その子はわたしの100倍は頑張っていて、頑張っているのにそんな自分を許せていなくて、自分なんて何も頑張っていないと思い込んでいて、それで苦しんでいた。

 

将来の夢も、自分の軸も、とても太いものが1本あって、ぶれてない。それでいてめちゃくちゃ頑張り屋さんなのに、自分の頑張りが足りてない、と、会社で認められない、と悩んでいた。

 

その子の話を聞いて、「なんでこんな優しくていい子が苦しむんだろう、こんなに頑張ってるのに」と思う反面、なんかもうその子の話を聞きたくない気持ちにもなってしまった。

 

なんでそんな頑張るの?と言いたくなった。多分その「がんばる」は、彼女にとっては普通のことで。だから「なんで頑張るの?」なんて言ったら傷つけるだけなんだろうけど。

 

でも、はたから見たらもう充分すぎるほどなのに、頑張れない、頑張ってない、と言って悩んでる。それに比べて全然頑張っていない私が「頑張らなくていいよ」とは言えなかった。

多分、彼女が尊敬してる人とか、認めてもらいたいと思ってる人に言われれば、効果はあるのかもしれないけど。

 

 

なんだろなー、彼女と話すと、自分の頑張らなさが浮き彫りになるというか。

「こうなりたい」という軸が自分にはないこととか、全然頑張ってないのにあの子みたいに苦しまずにここまで生きてきたこととか、彼女の話に頷きながら、全部自分と比べてしまう。

 

勝てないなー、とか思うのもそこら辺からきている。

彼女はほんとうにめちゃくちゃがんばりやで(大学を首席で卒業してたり)、学生時代はボランティアやら、家庭教師やらに打ち込んでいて、教員免許も何個か持っていたと思う。めちゃくちゃ綺麗でかわいくて純粋で。

それでも自分を許せてなくて、もっともっとともがいている。私からするとこれ以上何を頑張るの?と思うけど、彼女はまだ頑張らなきゃいけないと言う。

 

私は軸がないとか言いながら、別に軸を探すようなこともしてない。なんなら、頑張ってないといいつつ、頑張ろうとも特に思ってない。今の状況を乗り越えることだけに頭を使っていて、向上心なんてない。ただ現状を嘆いてるだけ。

 

 

憧れてるんだろうなあ。

その子みたいに、わたしも頑張りたいって。目標がほしい。自分の軸を持てたらいいのに。身も心も綺麗で美しくいれたらいいのにって。

 

 

で、居酒屋で話聞いたあとも、どうしてもモヤモヤが消えなくて、なんかその子に会ったあとから、自分も頑張らなきゃいけないんじゃないかという感情に囚われている。

 

今まで「わたしは充分頑張ってる」と自分を認められていたのに、彼女に会ってからは、自分の努力が足りないんじゃないかと思い始めている。この焦燥感はなんか嫌だな。

 

 

追いかけても、絶対追いつかないのに。

 

 

 

 

 

ごめんも言えない

 

今、1人の友達とずっと冷戦状態にある。

その友達は、大学1年の時から、学科も専攻も違うのにずっと仲良くしてくれていた。

 

これを書いている今は、仲直りしたいようなしたくないような不思議な気持ちなんだけど、とりあえず喧嘩したことについてもやもや悩んでたら、なんで喧嘩したのかわからなくなってきたし、どうしたいかもわからなくなってきた。

 

最近はその友だちがいる集まりをずっと避け続けているのだけど、本当にそれでいいのかな?という気がしている。

ちゃんと話さなきゃいけない気もするし、でもやっぱり話したくない、という2つの相反する気持ちがある。

 

 

とりあえず、このブログで、一旦なんで喧嘩したかを整理して、どうするか考えることにする。

ついでに友だちと自分の関係性について考えたことも書きとめておく。

 

まず、そうだなあ、喧嘩の原因を考えるにあたって、(私から見た)その友達ってどんな人?を書きだそう。

 

●サバサバしていて、物怖じしない。ズバっとものを言う。

●一度決めたら揺るがない。やりたいと思ったことは絶対やらなきゃ気が済まない。

●賢く、教養がある(頭の回転が早い)

●生き方や好きなことに、まっすぐな芯がある

●自分に自信がある

 

 

ぱっと思いつくだけでもこんな感じかな。まあこれだけでもわかるように、私とは真逆の性格の友だち。

いつも「なんでわたしたち仲良いんだろうね」とお互い言い合うくらい真逆だった。

わたしは頭も別に良くないし、信念とかそんなものは揺らぎまくりだし。

だから、その友達のことは羨ましくもあり、尊敬もあり、たまに合わなすぎてイラつくこともあり。笑

でも、何より気が利いて優しくて、会話が楽しくて、私のダメなところも分かってくれる、大好きな友だちでした。

 

 

その友だちと大喧嘩したのは4泊6日の海外旅行です。大学の卒業旅行。

まあ、正確に言うと喧嘩と言うより、本当に冷戦って感じなんだけれど。言葉にして何かを言い合ったわけじゃなくて、お互い溜め込んでお互いイライラして、距離を置いている感じだから。

 

実はこの卒業旅行、計画の段階から友達と意見があんまり合わず、「これ大丈夫なのか……?」とちょっと不安だった。だけど、この旅行の2年ほど前にその友達と3泊4日の国内旅行に行っていて、私には「友達と国内旅行という大イベントを乗り越えた経験」があったので、まなんとかなるだろう、とそこまで心配してませんでした。

その国内旅行は普通に楽しかったし。

 

だけど、この海外旅行は本ッッッッッッッッ当につらかった……「ッ」の量から辛さを察して欲しい。マジで。

 

早くスペインを出て、ホテルに帰りたかったし、なんなら早く日本に戻りたかった。でも、そんなことを考えてる自分がなんか虚しくて悲しかった。

友達にとっても、その場には私しかいないのに。私がそんな気持ちでいるせいで、友達もきっと楽しめてない。それが普通に申し訳なかった。

ずっとずっと私との旅行を楽しみにしてくれていたのに。その気持ちにもちろん応えてあげたいのだけど、私も私でつらいので、もう本当どうしようもない。そんな息苦しい6日間。

 

振り返ると、明確に「これのせいで喧嘩した!」という出来事はなかった。だからこそ、本当に人間性の違いというか、性格の違いというか、そういうものが浮き彫りになったんだろうなあという気がする。バンドの解散で言う「方向性の違い」みたいな。

 

 

なんであんなに辛かったんだろう。

なんか、なんだろうね、その旅行中は、ずっと私の意見を受け入れられていない気がしていた。

「これがしたい」とか「あれが食べたい」って言うことを許されていない雰囲気があった。

「○○したい」って言えば「いいよ」とは言ってくれるけど、端的に言えば、それがすごく不満そうだった。多分、彼女はスペインで何を食べたいとかなにをしたいとか、そういうものが決まっていたのだと思う。

 

彼女の立場からしたら、「こいつ何でここまで来てこんなところ行きたいんだよ」って気持ちだったんだろうけど(笑)、私は私なりに一生懸命考えて発言していたので、なんでもかんでも「いや」「でも」と否定形から入られるのはつらかった。

 

それくらいから、「あ、これ上手くいかないな」と思いはじめた。

「これを言ったら否定されるかな」と私が思った時点で、もうダメだった。私もびびって発言しなくなってしまったし。もう、対等ではいられなくなった。

 

冒頭に書いたように、彼女は誰かにズバッとものを言える人で、わたしはそれが面白くて好きで、いつも楽しく聞いていた。でも、それをいざ自分に向けられると「こわい」と思ってしまったのがもうダメだなって。

 

余裕がなくなった時のヒトって、遠慮がない。

別に優しくして欲しいわけじゃないけれど、遠慮ない物言いに対して、私が耐えられなかったこと、そして私も同じく彼女に思ったことを言う、ということが出来なかったことがダメだった。

 

多分これが滞在1日目(なんなら行きの飛行機)くらいで気づいたこと。

 

 

あとは、旅行の目的がお互いちょっと違ったのもあるかな?

私は多分、根はとても楽天主義だから、異国の地でも大抵のことはどうにかなると思っていた。

今までもどうにかしてきたし、いざとなればどうにかする力が自分にはあると分かっている。

 

この旅行も、そのなんとかなる精神だった。

ざっくり言うと、私はめちゃくちゃ綿密に計画立てて観光するよりも何もわからない土地をのんびりと歩いて、雰囲気を味わうのが楽しみだった。最低限行ってみたい世界遺産に行ければ、あとはなにしてもよかった。最悪行きの飛行機と帰る飛行機だけ決めてあとはのんびりブラブラでも。

 

旅行中も、「ほんとスペイン語って全く何言ってるかわからないね~!」ということすら楽しみたかったんだと思う。「行きたかったこの店休みじゃん!」っていうプチアクシデントも、「メニュー全部スペイン語だから、何書いてるか全然わからない!」ということも、全部含めて笑いたかった。

全くスペイン語が話せなくて困ったり、地理感ないせいで道に迷って街をぶらつくようなことがあっても別にいいじゃん!と思ってた。

私にとって旅の目的は「友達と旅行を楽しむこと」だったから。だから正直、スペインじゃなくても、イギリスでも、フランスでも、「どこかに誰かと行く」という体験を楽しみたかった。

 

でも、友だちは違った。

スペイン語が離せないなら、ちゃんと英語が使える場所で、正しい英語を使って、確実に欲しいものを手に入れたかった。アクシデントは許されなかったし、だからこそ行きたい美術館が休館日だったことにショックを受け、イライラしていた。友達の旅行の目的は多分、「スペインを楽しむこと」だった。

 

別にどっちがいいとか悪いとかそういうことではない。でも、友達からしたら私の計画性のなさにイライラするんだろうし、危機感がないと怒りたくなるのだろう。もしそれでトラブルに巻き込まれたりしたら被害を被るのは2人なんだから。彼女の立場だったらそう思うのは当然だ。今思えば、私の態度にイライラするのもわかる気がする。

でも、私は私なりに色々調べて提案したり彼女に寄り添おうと思って行動していたわけで、それを全否定されたのも気に食わなかった。当時はね。

 

まあ、この旅行が結構トラウマで、しばらくは勝手に「友達のせいだ」と思い込んでたけど、こうやって整理するとやっぱりお互い様だったなと思う。お互い歩み寄れなかったし、お互い譲れないところがあった。

あとシンプルに、言葉が通じなくて疲れてた。知らない街だし。

 

 

それでギクシャクしたまま帰国したんだけど、そのまま卒業式が来て。

 

卒業式の時に、せめてちょっとでも仲直りしたいなあって思って、「一緒に写真撮ろ」って言ってみたんです。めちゃくちゃ緊張したけど。

2人のときだと、旅行の話蒸し返してしまって、また険悪になるかなあって思って、あえてみんなの前で言った。みんなも、私たちが仲良いのは知ってたし、ここでなら友達も断らないだろうって思った。

 

 

そしたら、「私、かわいい子としか一緒に写真撮らないから。」

 

 

素で「は?」って言ってしまった。

ショックというか、ショックもあるし、なんかふつうにムカついちゃった。

友達は笑いながら言ってたから、多分、周りにはジョークとして聞こえたと思うんだけど、私は完全な拒絶だと捉えた。多分友達もそのつもりで言った。

 

写真を撮りたくないなら撮りたくないでいいんだけど(それはそれで普通にショックだけど)、拒絶の仕方に傷ついた。ふつうにキツくて胸がバクバクした。

 

私も、「なんでよ!撮ってよ!」って笑って誤魔化したけど、もう二度と言うかと思ったし、いよいよほんとに仲直りできないと思ってしまった。

 

 

で、そのまま友達は就職して、私は院進して。

毎日のようにめっちゃくだらないLINEしてたのが、ぱったり。(向こうが就職したってのもあるけど)

 

8月になる今でも音沙汰なし。私もせず。笑

 

 

ただ、喉元過ぎれば熱さ忘れる?というか、これ当時3月の話なので、時間が立って今は全然怒りとか悲しさとかは無い。

思い返して胸がバクバクすることもない。

 

ただもう1回仲良くしたいかと言われるとそれも微妙。もう、会ったらずっと顔色伺ってしまう気がする。

だけどこのままでいいのかと言われるとそれもどうなのかないいのかな…って感じ。

 

ほんとに仲良かったんだよなあー。

大学はその子のおかげで頑張れてた面も少なからずあると思う。好きだった。

 

本当に、どうしたらいいかわからない。

今更、「あの時は…」って蒸し返すのも勇気がいる。あの空気は二度と味わいたくない。

かといって、何も無かった顔では会えない。

でも会いたいんだよなあ、たわいもない話しをしたい。

 

 

どうしたらいいんだ、って、ふとした時に考えてしまうのを、ずっと繰り返してます。

ただそれだけ。