在処離れ

やさしく、あったかく生きていきたいです。

不幸になると安心する、という感覚について考える。

 

私は自分が嫌いだ。

 

何かうまくいかなかったりした時、「ああ、こんなつもりじゃないのにな」「こんな自分いらないのにな」って思ったりして。

自分に自信を持っている人がキラキラ輝いて見えて羨ましくって、でも同時に嫉妬したりして、そこにまた「醜い自分」が見えて、嫌になる。

 

自分が嫌いすぎて、「自分 好きになる方法」とかgoogleで検索したり。たくさんの方が自分を好きになる方法教えてくださって、なんだかうれしい。

有名な心理カウンセラーさんのブログ覗いてみたりなんかしちゃう笑

 

大抵「自分を肯定してあげて下さい」って書いてある。

こんな自分、肯定できるところなんてひとつもないのに!?って思うんだけど。

 

 

まあそんな話は一旦置いといて、今日はタイトル通り「不幸になると安心する」という感覚についてちょっとだけ考えてみようかな。

ここから先はちょっと昔の話。

 

 

前述した通り、常に「こんな自分なんて嫌いだ!」と思っている私だけど、昔はそれがもっと酷かったことがあった。

 

まあとにかく自分が嫌いで、やることなすこと気に入らなくて、「死にたい」とかは考えてなかったけど、自分が嫌いすぎて若干病んでたと思う。

 

でも、そういう感情って必ず波があって、その時も、「自分を嫌い」って思うことが少なかった時があった。

多分、学校とか人間関係とか、結構上手くいっていて、あまり自分を責めることがなかった。私なりに「幸せ」だったんだと思う。

 

そんな幸せに浸っていた時、帰宅途中の車の中、ふと思った。

 

「私はこのまま幸せになっちゃだめだ!!!!」

「このまま幸せになってしまったら、誰も私のことを見てくれない」

 

あれは不思議な感覚だったな。

気づいた時、自分でびっくりした。

 

潜在的にはきっと、もちろん、幸せになりたいのに、わざわざ「不幸にならなきゃ」と思い込もうとしている。

 

その時の私は、無意識に自分の中にある不幸な要因を探していた。

その状況がなんだか悲しくて、みじめで、自分から不幸になっている気がして、でもどうしても自分の中の不幸探しをやめられなかった。

 

 

これ、今考えると、多分「かわいそうだと思われたい」という感覚に似ていたと思う。

私は「かわいそう」でなければ好かれないと思っている。伝わるかなあ…

 

 

うううん、なんて言えばいいんだろう。

 

私に、もしも、人に誇れるような長所があったとしたら、私はそこを他人に褒めてもらって、幸せになると思う。それが自信になる。

 

でも、現実の私は何もない。人に褒められるような長所もなければ、人に褒めてもらう勇気もない。

 

なので、自分で「かわいそう」な状況を作りだして、他人に慰めてもらうことで、人から認めてもらおうとしている感じ。

 

自分にはプラスになるようないい所がない。0からプラスにすることはできないから、マイナスな状況を作り出して、せめて0にしてもらおうとする。

「マイナスな状況だけど、がんばってるよね」って感じで。

 

自分ではない他人に、同じだけ上に上げてもらって、自分を認めてもらって、承認欲求を満たしてる、みたいな。

 

うわー、伝わらない気がする。笑

 

まあとにかく、私の「不幸にならなきゃ」っていう感覚も、多分、そんな感じ。

不幸な自分じゃないと、誰かに構ってもらえない、みたいな。メンドクサイかまってちゃんみたいな…。

 

結局こんなこと考えてても、かまってもらえるわけでもないし、認めてもらえないんだけど。

そんなことわかってるけど、どうしてもやめられない!

 

だから、自分が不幸な状況の時は、ほっとしたような、安心したような気持ちだった。

「今、私は不幸だ。これでやっと周りに見てもらえる」って思うから。

 

今こうやって振り返ると、あの時の「不幸な私を見て」って、すごく自分勝手だったなあと思う。

自分に関することって、当事者である自分が中心になるのは当たり前だけど、他人も同じように自分のこと気にしてるわけじゃないから。

自己愛と、極端な自己否定のバランスが取れなくて、自己肯定できなくなってたなあ。

 

ま、とにかく「不幸な自分」じゃないと、自分のこと見てもらえないと思ってた時期があった。

 


今は何とか立ち直ったけど、どうやって立ち直ったかは本当に覚えてない。

結局、その「不幸な自分」を他人に言う勇気はなかったと思う。「不幸自慢をしたら他人に疎まれる」みたいな理性はかろうじて働いていたんで。

だから、一人でもくもくと悩み続けて、多分時間が解決してくれたんだと思う。

 

 

…っていう過去の私の話があって。

 

 

何を言いたいかっていうと!

 

最近、twitterで見かけたんです。

いわゆる「不幸自慢」をしてる人。意外と多いんじゃないかな。

 

そういう人見るとさ、「ウワ…痛いな…」とか思いながら、同時にちょっと気持ちがわかったりするのです。

愛が足りてないんだなあとか。満たされてないんだなあ。とか。

 

そういう人見ると、「うるさい!!!うざい!!!」とか「そんなもん全然不幸じゃない!!」とか「私の方が!!!!!!」とか「あんたの不幸話聞きたくない!!」って私も言いたくなっちゃうんだけど。人の不幸話ほど聞きたくないものないし。

でも、それは私が今健康だから言えることだし、多分過去の私にそんなこと言ったら過去の私は泣いてたと思う。笑

 

 

だから「十分頑張ってるよ」って言ってあげたいなあ。

ありきたりだけど、 「見てくれている人は、絶対にいるよ」とか。伝えたいなあ。

 

多分言っても伝わらないんだろうけど。そういう時って他人の優しい言葉が聞こえなかったりするから。否定的になっちゃったりね。

 

だけど、不幸自慢している限り絶対に満たされないし、ずっと不幸だよ、きっと。

 

「十分頑張ってて偉いよ。だから不幸になって安心したりするのやめようよ」

と、過去の自分へと、twitterで見かけた不幸自慢をするあの方へのメッセージを書いてみました。